2025年7月16日水曜日

北の御番所 反骨目録〈十二〉

北の御番所 反骨目録〈十二〉 南北相克 芝村凉也

 菓子屋の由来 京の老舗の菓子屋 栄喜堂 ・京の店がなくなり江戸が本店といわれている
が江戸に店を出す時に貸した土地代を払ってくれなくなったと貸した家が言うようになったのが六十年前、その孫・滝の年の離れた従兄弟・亀太が、訴えに来た。滝が一旦訴えを引いたが、亀太は、滝の祖先が大した家だったと証明するために、神君東照大権現様のご遺物と称するものを提出した。
 亀太が返済ができない時は命が危ないといわれているところから借金して金を借り、腕のいい贋作師の指物屋に出入りしていたことを知っている行沢は、素性の判然としない物を持ち続けないようお触れが何度も出ている。今頃になって利得のために持ち出したことは罰せられることだ。ということで品物は、没収し、焼くことになる。
 訴えは取り下げられた。
 亀太は遠島になり二十五年後江戸の帰る。救済したのは栄喜堂だった。十二両が渡された。

 南北相克 以前の事件で知った錦堂が、裄沢の元に相談に来る。同じ町内会の橘屋の主人夫婦が亡くなり、子どものために店を売り子どもにお金を残すことを町内会にたのでいた。町内会はその通りにした。橘屋の親戚が、主人夫婦の若い時に借りていた借金の証文を持ち出し、返せと言った。町内会は訴え、北町は、調べ、借した者が書類を無くしたため利子なし元金だけ返し良しとした証文があったことで訴えは却下された。南町に訴えられ困っていると相談される。
 南町奉行は根岸肥前守、三年前に転任。その前が二年。その前が一年。南町は盤石ではなかった。吟味方与力・笠置大三郎が訴えの担当で、勝ちたければいくらか出せと言う雰囲気だったと言う。町内会はお金を渡さなかった。もし、訴人が、勝った時の成功報酬を提示すれば笠置が受け取る額は大儲けだった。結果、借り入れの期日から今日までの利息と借り入れ額の全額を訴人に支払うようにと申し渡された。
 裄沢は、錦堂に、訴人への支払いは誰がどこまで負担するか調整がつかないということにして引き伸ばして欲しいと頼む。
 行沢は、鳥問屋問題をほったままにし、南町は怠慢だと書状を、奉行根岸宛てで送る。行沢は北町奉行・小田切土佐守直年に、書状のことを話し、橘屋の裁きのことを話す。橘屋のことで訴えると関係者に何があるか判らない。最後の手段は、目付に訴えるつもりであることも書いたと言った。処分は受けると言った。行沢は謹慎した。
 一週間、南町筆頭与力・首藤が、南町伊佐山と話しをする予定。来合の妻・美也の兄・坂木は、裄沢のために誰に相談するか考えていた。
 小田切は、城中で根岸に声を掛け、裄沢のことを謝り、橘屋の裁きをそちらで調べてほしいと願った。裄沢の人となりをしゃべった後、目付のことは脅しではなく、己がどのように処せられてもやる漢。確かめることは確かめた方がいい。と話していた。
 南町奉行所では、元筆頭与力・中屋銑十郎が現れ、最近の裁きを調べていた。奉行に提出していた物とは違っていた。中屋と甲斐原は昵懇だった。
 橘屋の調べはやり直しされた。南町が内部で見つけ正したことになった。裄沢の謹慎は解けた。
 裄沢は縫の居酒屋へ行った。
 
 定町廻り同心・内藤小弥太 南町の内藤は、北町の同心が、奉行に書状を出したことが気に入らない。
 南町の内与力・灰田から呼び出された内藤は、上下をわきまえぬ暴挙を許さないと意気込む。灰田は、裄沢の覚悟と、慎重な段取りを取ったこと、周りの者からの信頼も深いと言った。裄沢が咎められず終わったのは、陰から助ける人脈があり、叡慮と信念があったからだろうと言った。

 

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