楡の墓 浮穴ミミ
楡の墓 さとほろの開拓。明治に変わる。兵部省出張所石狩国開墾掛になった大友亀太郎。四里の水路を引き枝別れして整然と区割りした敷地のすみずみまで水が行き渡り三十年先を見て農地を開墾し、人を育ててきた。中心部に本部建設するという。開拓使と大友の開墾計画とは相容れない。大友は北海道を去った。
雪女郎 開拓判官・島義勇。旧佐賀藩士。明治二年十一月。札幌入り。急ぎすぎた。冬に本府をたてようとする。大友の言う本府の場所の再考も駄目、大友の意見は聞き入れない。大友は去った。明治三年二月、独断専行し、財政の窮乏をもたらしたかどで、罷免された。
明治五年秋田県の県令になる。八郎潟の開港、土木工事、県庁舎移転、医院洋学校の充実・・・予算を中央政府に要求し、走りすぎて、県令を免官となる。鎮撫のために佐賀に行き、戦闘に巻き込まれた。佐賀裁判で斬首を言い渡される。
貸し女房始末 役所に永住を願えば家作料百円が貸し付けられる。金を借りるには女房がいる。ふきは貞吉に言われて何度も貸し女房になった。その時知り合った役人・岡部に見込まれ、役所を辞めた岡部が始める女郎屋の女将になる。島の後の岩村通俊半官は、区画整理に邪魔な草葺き小屋を一掃するために御用火事を起こし焼き払った。薄野に集められた。岩村半官は職を解かれ北海道を去った。
湯壷にて 開拓大判官・松本十郎。根室開拓判官を堅実な方策で治めた。札幌判官になる。樺太から引き上げてきたアイヌの人たちの住む場所、宗谷あたりに決まっていたものを開拓使は石狩の対雁に移住させようとした。役人が無理やり銃器で追い立て強制移住させたことを知った後、松本判官が職を辞した。
七月のトリリウム 開拓使御用船・玄武丸で開拓長官・黒田清隆とマサチューセッツ農科大学長ウィリアム・スミス・クラークとウィリアム・ホイーラー25才、デビット・ピアース・ペンハロー22才が札幌にやってきた。人格教育のために聖書をつかうことを許可した。
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