2025年3月14日金曜日

QED 恵比寿の漂流

QED 恵比寿の漂流 高田崇史 

 棚旗奈々と桑原崇は、十一月の四連休を利用して、安曇族を追いかける北九州の神社めぐりに来た。和布刈神社から対馬の神社に行く。

 対馬で奇怪な殺人事件が起こっていた。一人目の被害者は皮袋に入れられいた。二人目は小舟に乗せられていた。共通するのは、首を切り落とされていたこと。三人目の被害者は発見時に息があり、「さいきょう、くぎょう」と言い残した。

 三人目の被害者が記者で、後輩の記者が、小松崎良平に相談する。長崎に駆け付けた小松崎は、崇に連絡をし北九州にいることが分かり会う。小松崎が話しをすると崇は事件のあらましが判った。さいきょうとくぎょうの意味が判るというので警察に連絡し会うことになった。

 また二人は、対馬に渡る。待ち時間までの間に、事件の被害者の村、白壁村と鬼瘤山の麓の津州寺に行った。二人目の被害者は住職だった。妻は、病院の屋上から身を投げて亡くなった。

 警察と事件関係者の家族等が集まったところで崇は、この島の歴史から風習の話をする。台風や災害で多くの人が亡くなった時、人の首を供えて鎮魂する。だから村がなくなった。残された言葉、さいきょうは祭梟、首祭。くぎょうは木魚。津州寺の木魚は骸骨木魚だった。二人は年男で順番だったということでしょう。
 第一の被害者の母親・若子が、村のために息子は死んだ。息子一人では弱かったので、住職が、何人も殺してきた贖罪の気持ちもあったかも知れない自死した。妻の寿子と、後を片づけたと二十歳の綾女が話す。綾女は、仲良しの瞳と津州寺で記者に会い殺害をしたと告白した。
 崇は、津州寺に二人の首は埋めてあるだろう。二人の首が切られたのはその時には切る人がいた。記者の時は、知られたことで慌てた者が殺した。だが首を切る者がいなかった。首を切る役、崇は、地元警察の雁谷に元々は刈谷か刈屋で、 村で首を刈る役目の家だったのではないかと問う。
 警察が目を離したすきに綾女は逃げ屋上から飛び降りた。
 若子は、「えびす」から人の世、そして「えびす」になる。
 崇は、その言葉で証明終わり。と告げる。


 伊勢のルーツは糸島、海幸彦は隼人の祖。猿田彦に繋がる。山幸彦は、アマサチヒコは、安曇磯良以前の人物

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