むちゃの勘兵衛日月録20 落暉の兆し 浅黄斑
越前大野藩の御耳役・落合勘兵衛は身重の妻・園枝を連れ帰郷した。大野に流れる風説に驚愕する。無茶の勘兵衛ではなく、無駄の勘兵衛という。それは上司・江戸留守居役・松田への誹謗だった。誰が何のために流した噂か調べる。津田家老一派だった。
娘は凛と名付けた。
勘兵衛は妻子を大野に置き、江戸へ帰る。
松平直堅家では引っ越し時に、越前福井藩から言い掛かりを付けられていた。怪我の治療費に二百両の請求をされたが、勘兵衛が、怪我が嘘であることを明らかにし、解決した。
松田の情報網・老中・稲葉正則が、大老・酒井忠清のために加判の列から除くため、大政参与となった。松田は情報網を失い、次の情報源を探していた。
5月5日、総登城の後、御三家、大老、老中計9名でお世継ぎの話になった。酒井雅楽守忠清の進行で有栖川宮幸仁親王の将軍の話が出た。堀田備中守正俊が反対し、綱吉を立てる。御三家の三人が賛成し、何も決まらぬまま散会した。その後、堀田は家綱から世継ぎについては堀田正俊の思うようにして良いと書かれた書面を手に入れた。綱吉は家綱と対面し書面を与えられた。
6日 諸大名に家綱世継ぎに館林宰相綱吉に決まったことが発表される。
7日 綱吉が江戸城二ノ丸に入る。
8日 家綱亡くなる。
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