源氏物語 上 吉屋信子
牛込に高倉良英氏の邸宅があった。太平洋戦中に財務官として満州に赴任。雪子夫人も同伴した。留守を預かるのは母、楓刀自と三人の孫娘だった。
長女・藤子は嫁いでいたが、良人がジャワに銀行員で赴き、留守の間実家に帰っていた。
次女・容子は、女学校を終え学徒勤労に加わっていたが、肺尖にかかり勤労奉仕を医師から禁止された。
三女・鮎子は女学校に在学中。寄宿舎があった。
二月、容子の養生もあり、鎌倉山の高倉家の別荘に疎開することにした。
家具のほとんどを運べず、トラック一台で運べる物を運んだ。楓刀自の蔵書は鮎子が土曜日に鎌倉山に行く時にリュックで運んだ。湖月抄、源氏物語五十四帖が六十冊の写本にまとめられていた。
三月十日、高倉家は灰に化した。父親の蔵書、家具、祖母の秘蔵書・古典の写本類も殉じた。
八月終戦を迎える。
翌三月、預金封鎖、新円切り替え。没落した。
鮎子は横浜の商館で働く。
生活は苦しく、物を売るしかなかった。
隣の山荘に未亡人の女実業家が越してきた。製罐業で成功した人だった。大貝夫人が挨拶に来た。夫人は高倉を知っており恩人だと言った。夫人は、藤子に夫人の秘書をお願いした。
高倉家の生活は安定した。
楓刀自が、大貝夫人と孫三人に、土曜日の夜、源氏物語の話しをすることになった。
秋、光琳の香包み、掛け軸、李朝の壺に小菊、千鳥の袖香炉、〈誰ヶ袖〉香木の中で始まった。桐壷。
大貝夫人は子どもがなく、ある華族の主人と小間使いの間に出来た子どもを、実子として届けた。康男は慶応へ行き、戦後結婚し、工場も任せ東京の本邸も渡し鎌倉に移り住んだ。
平安時代の絵巻物を見る。
帚木
帚木続
空蝉
藤子は大貝夫人と東京へ行き、帰りが一人になった。自動車を運転するジョー葉山青年と知り合う。お茶に招ばれ、礼を持って藤子と鮎子は出かける。
夕顔
ジョー葉村も源氏物語の聴講生になる。
若紫 二夜。
末摘花 大貝夫人風邪で欠席、ジョー葉村、名古屋へ出張
紅葉賀
刀自風邪でお休み
花宴
大貝夫人、孫が産まれ光と名付ける。
葵
賢木
息子夫婦、孫の夫の消息も不明瞭、一家は晴れ渡った気持ちではないが、刀自が源氏物語を初めてから中心に目標が出来、空気に希望を持たせる物になっていた。
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