たすけ鍼③天神参り 山本一力
天保六年 1835年 三月 いまりは、深川茶屋の老夫婦の後押しを受け、父・染谷の後を継いで鍼灸を習うことを決めた。辰巳芸者の検番にも許しを貰い父の許可ももらった。六ヶ月間、唐人の宋田兆師のもとで武術を教わることになった。六ヶ月で修了となった。
いまりは難癖をつけてきた男二人を護身術で伸した。札付きだった。
いまりを探している男がいた。いまりのことを調べている。
住吉屋の表向き稼業は駕籠屋だが、賭場が本業だった。そこの二人を手玉に取られたため、
住吉屋の主・虎蔵はいまりへの仕置きを考えていた。代貸は、元締の大木尊宅の検校の代貸役・勾当の元徳に、虎蔵が染谷の娘に手出ししようとしていることを話す。
尊宅は、虎蔵に、恩ある染谷の娘に近づけば、染谷のはたすけ鍼だが、わしが拵えた始末の針で始末すると脅した。
いまりは庭先の離れに手を入れ、稽古場を作った。年配女性を集め身体の筋を伸ばしたり関節を回したりする。稽古着を作った。六人が集まった。十二月に始まって三月まで続ければ、手が痛みなく上がるようになるという運動だった。
いまりの兄・勘四郎は染谷の仕事を継がなかった。父親の友人・昭年先生の娘・さよりが好きだった。一度嫁いで帰ってきている。いまりにさよりの気持ちを確かめて貰おうとした。ちょうど、さよりに医者からの縁談があり整ったところだった。
勘四郎は書を習いたく卜斎先生に師事した。先生と行った大豆屋で算盤を弾いたことがあった。大豆屋から娘の縁談相手と卜斎を通して話を持ち込まれた。勘四郎は話を断りに行く。店で娘の書いた札を見た。卜斎に断りを言った後貰った半紙の言葉を思い出した。
小人は縁に気付かず 頭の中で半鐘がなった。
大豆屋に出直しますと言い、雨の外に出た。大八車がひっくり返り、怪我人が出た。勘四郎はずぶ濡れになりながら船宿へ連絡する。勘四郎は黒羽二重の紋付きと仙台平の袴を脱ぎ、紺の腹掛と股引に着替えた。弦太が漕ぐ船で染谷のところに草太を運ぶ。
勘四郎は船宿・岩戸屋の主・葦五郎夫婦から、大豆屋のこと娘・しおりのことを聞く。
勘四郎は洗い張りが仕上がってから大豆屋さんに行くことにした。
弦太はいまりにお熱のようだ。
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