鎌倉署・小笠原亜澄の事件簿③ 極楽寺逍遥 鳴神響一
鎌倉大仏付近の丘の上で撲殺体が見付かった。殺されたのは美術館学芸員の鰐淵貴遥だった。神奈川県警捜査一課・吉川元哉と、鎌倉署刑事課強行犯係・小笠原亜澄はコンビを組まされ関係者を訪ね歩く。
貴遥は、父・鰐淵一遥画伯が持つ「極楽寺逍遥」を研究し、近く専門機関で蛍光X線調査や赤外線写真調査をしたいと思っていた。亜澄は一遥画伯の了承を得、一遥画伯の出費で科学捜査研究所を通じて解析を頼んだ。
みんなが集まった席で、解析から判ったことを発表する。
画家・湯原宗二郎が描いた「極楽寺逍遥」の色を上塗りされている部分には、自分が一遥を裏切った。また君も私を裏切った。茉莉子は罪を犯し私は茉莉子に罪を償わせた。そしてわが罪を償うと書かれていた。
絵のモデルをし宗二郎の愛人だった茉莉子は、宗二郎のDVに耐えられず、一遥の元に逃げた。一遥と暮らしている最中、階段から落ちて亡くなった。宗二郎は自殺した。
宗二郎の絵がフランスで認められて来た。苦労して美術評論家として仕事ができるようになってきた娘・桂子は、父親が人を殺したという事実を明るみに出したくなかった。解析をすれば明るみに出ることを知っていた桂子は、解析しようとしている貴遥を思わず石でなぐってしまった。と桂子は言った。
鎌倉美術館の学芸員の貴遥の部下・日野真矢は、宗二郎の娘だった。母は銀座のホステスをしながら真矢を育てた。学芸員になったが、評論家を目指そうとした。妹が華やかで羨ましかった。真矢も書かれていることに心当たりがあり、表に出されることが嫌だった。貴遥は、解析し研究論文を書くことに言及した。桂子と貴遥が会うことを知りつけた。桂子が殴った後、ここで彼が亡くなれば・・・と考え動き出した貴遥をもう二回殴って殺した。石を遠くへ持ち出し捨てた。
一遥は、絵を鎌倉美術館に寄贈した。一遥の孫、遥人は、祖父の遺産を放棄した。
事件解決の後、白旗神社の隣の児童公園から、元哉はしっかり酔っ払った亜澄を介抱しながら連れて帰る。
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