2024年8月19日月曜日

鬼役〈三十四〉 帰郷

鬼役〈三十四〉 帰郷 坂岡真

 上方で医の勉強をする鐵太郎から江戸に帰ると連絡があった。 
 江戸城が火災で被害を受け、予算以上費用が嵩み再建された。老中が返り咲き幕府は迷走している。二度目の罷免蟄居があり、阿部伊勢守が老中首座になった。
 矢背蔵人介は「小姓頭取格奥勤見習」となり、影鬼となっている。
 鬼役となった卯三郎にまだ信がおけられていない。
 南町奉行に就任した遠山佐衛門少景元が、名前を連ねた紙を出し、上意だと言う。蔵人介は、間違った上意には従わないと言った。

 まだ鐵太郎が帰らない。門前に置かれた紙に海辺の風景と「市谷お納戸町矢背蔵人介」が書かれていた。蔵人介と串部は、金沢道を南下する。父親とじい様を役人に殺された小童に合った。一か月前、役人は、唐人船を焼き積荷も漁師も家も焼いた。磯松は、海辺の絵の所に案内した。
 海辺の見える御堂に鐵太郎はいたようだ。網元が、役人が半狂乱で村人を撫で切りにし姿を消した。翌日から村火地に症状が出始めた。鐵太郎が現れ、患者の治療を始めた。体力のない老人や子供は亡くなった。生き長らえた快復の兆しが表れ、新たな患者も出なくなった。浦賀奉行が鐵太郎を連れて行った。
 浦賀奉行・久保寺は、斬首にするという。蔵人介が奉行に公金着服の罪で成敗する間に串部は鐵太郎を助け出した。疫病はころりだった。鐵太郎の江戸帰郷の理由は、疱瘡の種痘を広めるためだったが、もう一つ、個人的には、異人の血をひく、医者を目指す女・多喜を探すためだった。
 卯三郎が毒味で倒れた。毒が仕込まれたが、ころりに感染した。御鳥屋に運ばれ、鐵太郎が呼ばれた。
 多喜は息子・仁を探していた。
 出牛峠の銀色の塔を爆破し、徳川幕府の転覆を狙っていたものは失敗におわった。
 大奥の山嵐ひとりになった。
 奥医師筆頭・胡桃沢が、多喜の産んだ子は、紀州徳川斉順だと言った。
 大奥で、子供を見付け、保護し、大奥の食事處で、毒が入っている証明をする。
 
 大阪に帰る鐵太郎を見送る。鐵太郎の横に多喜と、鐵太郎が父上になる仁もいた。
 

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