百万石の留守居役〈十四〉 愚劣 上田秀人
将軍綱吉との謁見後も江戸に留まる加賀の宿老・本多政長の動向を探る者がうごめきだす。
能勢数馬は政長に同行し、本多家と吉原の関係を知る。江戸に色街を作る許可を与えた家康に、色街のことなど構うなと進言した者がいた。本多佐渡守(政長の祖父)が、天下人が約束を反故にしてはいけないと忠告し庄司甚内が吉原を作った。本多様は吉原の恩人だと言う。
政長と数馬、供の刑部と石動庫之介は、吉原内で越前福井藩松平の留守居役須郷に頼まれた者に襲われる。それらの者を討ち放した。須郷は吉原内では何もしてもらえなくなり、数馬はいつ何時でも何度でも何でもすると言われる。
加賀では政長の留守に、不平分子反逆分子が政長の息子・主殿を神輿に集まりだした。一番元をあぶり出そうと見張っている。殿・綱紀と主殿の妻の父・前田家本家前田孝貞。前田孝貞と本多は仲が悪いと思われている。主殿は暢気な若様振りだ。
そんな主殿の所に、越前福井藩松平の次席家老・結城外記が綱昌が数馬に書いた詫び状を返して欲しいとやってくる。主殿は数馬は江戸だし、詫び状は殿・綱紀のところにあると言う。殿様に会いたいと頼まれる。
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