2023年10月26日木曜日

雇足軽八州御用

雇足軽八州御用 辻堂魁

文政十三年 1830年

 竹本長吉39才は 、紙屋を生業にする殿山に雇われたと思っていたが、本業が高利貸で、用心棒又は、取り立てに雇われていたことに気付き、辞めた。
 新しく紹介されたのは、八州御用・関東取締出役、勘定所の臨時雇いの足軽だった。手当ては一日銀一匁。

 竹本長吉は、元宇潟藩郡奉行配下の下役だった。三年前、百姓一揆の煽りを受け、郡奉行の父親は切腹、配下の者も職を失った。妻と子は名主の実家に預け独り江戸に出てきた。
 十年、もう十年と藩札を発行する執政に対して、父親は藩札発行を抑え身の丈に合った藩政に戻すべきという考えだった。父親亡き後、長吉に藩の厳しい監視の目を向けられていた。
 
 関東取締出役は、家禄五十俵の御家人・蕪木鉄之助56才だった。二十年続けている。29才の息子は家をまだ継いでいない。

 十二月一日出立。蕪木鉄之助、小者・六兵衛、雇足軽・竹内長吉と多田次治44才。約一年旅が続く。

 大きな出来事もなく過ぎる。
 啼きの道助が率いる一味が押し込み強盗を働き、二十年逃げている。道助中心に四人、その時々に人数を集め押し入る。その四人が塩原の湯治場にいる。臨時出役・西野の一手と一緒に四人を捕らえるという命令が来た。
 西野の到着が遅れている。四人が明日の朝出立すると情報が入り、蕪木は自分たちだけで捕まえることにする。手助けも入れて二十数人になる。
 四人は裏から逃げた。西野が着いて、蕪木の不始末を責める。蕪木は、八日も前に下知されているのに何故こんなに遅れたかと責める。西野は黙って帰った。

 九才で元締をする子どもの博打開催を見咎めた。父親の博打の借金のため身を売った母が病気のため看病に行くためのお金を稼いでいた。竹本は、杉作と一緒に母親の所に行く。
母親は死んでいた。雇い主の話を聞き、墓参りをして帰る。

 もうすぐ一年になろうとする時、啼きの道助を捕らえる機会が訪れる。多田は怪我を負い、竹本が、若い二人を倒す。蕪木は道助に殺され、竹本が二人を討った。

 蕪木が心配していた息子は、代官所手付に採用された。
 藩の執政が変わった。長吉は宇潟に帰る。竹本家再興、郡奉行拝命の内示があった。
 長吉は杉作に会いに行った。杉作は田で働き、古着の仕事を覚えようとしていた。
 
 
 
 

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