上泉信綱伝 第一部 新陰の大河 上田秀人
上野国箕輪城主長野業政に仕える上泉信綱。関東管領・山内上杉家憲政と扇ガ谷上杉家朝定、関東公方・足利晴氏の連合軍を守るため獅子奮迅の活躍をするが、主君の嫡男・吉業を失った。憲当と名乗りを変えた憲政は、長尾景虎を頼り越後に逃げた。業政は関東管領を見限った。武田晴信の誘いも断り独自の勢力として西上野を死守することにした。1552年
上杉景虎関東管領に任じられる。1560年
北条討伐に加わった業政だったが、北条を小田原に押し返しただけで終わった。業政が亡くなる。1561年
兵法を極めよという業政の言に従い上泉信綱は、家督を秀胤に譲り、弟子・疋田文五郎と神後宗治の二人を連れて廻国修業の旅に出た。
信濃の国諏訪大社で奉納演武し、常陸の鹿島神社に詣でる。
塚原卜伝に会う。話をし、三日滞在して鹿島を発つ。卜伝に京を目指せと言われ、言われた通り京を目指す。
伊勢の北畠家に滞在し、具教から柳生里の柳生新左衛門に逢って欲しいと頼まれ大和柳生の郷へ行く。
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