江ノ島西浦写真館 三上延
桂木繭は、2015年1月10日、江ノ島にある祖母の写真館の遺品整理に来た。母・作家・桂木奈々美。一緒に遺品整理をする予定だったが、母は来る気はなかったようだ。繭は、大学を卒業し、就職した。写真館の二階に滋田が住み、管理を任されている。整理は、自分が居ない、8時半から夜9時までにして欲しいと言った。
余り話をしない繭に、祖母はカメラを貸してくれた。繭は写真が大好きだった。自分が撮った写真をかってに世に出し、唯一無二の友人を失った。繭は写真を辞めた。
写真館に未渡しの写真があった。
真島昌和。代々似た人がというぐらい時代は違うが似た人が写っていた。認知症気味の祖母と共にいる真島秋孝という孫に写真を渡す。秋孝の祖母は、祖母・富士子を富士子お姉さんと呼ぶ。孫・秋孝を夫・昌和さんと呼ぶ。
秋孝が家の整理を手伝ってくれることになった。
永野琉衣の写真が出てくる。撮ったのは高坂晶穂。琉衣は、繭の唯一の友人だった人で、晶穂は、四年前縁を切った大学の先輩だった。琉衣には、教主様が付いていた。繭が撮った写真を母が本の表紙に使い、琉衣は映画出演した。大学に入り琉衣の写真を撮った。その写真がネットにばらまかれ集団自殺カルテット教主様とかで炎上した。琉衣は繭を責め、芸能界を引退し、姿を消す。繭は誰も信じられなくなりカメラが怖くなり逃げた。琉衣は繭を拒絶した。誰がネットに揚げたか判らないまま放置された。
写真を渡すために、晶穂の居所を探す。大学のサークルの先輩に電話する。
晶穂と写真館で会う。晶穂は仕事がなくなり困った時、この写真館の従業員だった。同じ頃、琉衣もここにいた。
話をしていて繭は、誰がネットに流したか分った。晶穂も分っていた。
立川研司は、婚約指輪を、写真館の棚の中にあった銀の固まりで作った。祖母は気が付いていた。死ぬ前に婚約者・現奥さんに話していた。研司は謝った。
研司は秋孝が、前に会った人と違うと言う。
秋孝は、事故に遭い記憶を失った。顔を整形で祖父の顔に作られた。祖母が、昌和に昌和さんはどこ?と言うようになったから。また、秋孝の顔は今の方が良いだろうという祖父。
本物の写真が、袋に仕舞われていた。秋孝は、元に戻る機会を与えてくれた繭に。顔を変えられて何も出来ずにいた自分を記録しておきたい。今の僕を撮ってほしい。あなたが、写真に関わっても誰かの人生が簡単に狂ったりしない。狂った人生が戻ることもある。写真を撮った。
二階にいる管理人は琉衣だった。琉衣久しぶり。ごめんなさい。久しぶり、繭ちゃん。
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