空也十番勝負(九) 荒ぶるや 佐伯泰英
空也は祇園感神院・八坂神社で、祇園はんの氏子の古老に、催しの手伝いで武蔵坊弁慶を演じてほしいと頼まれる。
牛若丸は舞子の桜子、五条の橋の上を演じた。芝居が終わった時、薩摩藩の侍が舞台に現れ空也は三人を打った。
三日で興業は終わった。
翌日、所司代・七万四千石越後長岡藩九代藩主・牧野備前守忠精に一力に呼ばれる。桜子等とかっぽれを踊るが、踊りを知らない空也は、扇子を持ち直心影流奥義を披露する。のち、刀を持ち踊ったのが直心影流の奥義だったことを伝える。
神保小路尚武館と、高野山の姥捨の里に当てた手紙を所司代から送ってくれることになった。
空也は鞍馬山に向かった。
藥丸新蔵は府中宿音羽山清水寺で、野太刀自顕流対薩摩示現流の最後の試合をした。一対六の試合はすぐに終わった。新蔵は立ち去った。
鞍馬で半月を過ごし、鞍馬から鯖街道を通り若狭小浜へ行く。羅城坊が着いてくる。
途中、若狭小浜藩酒井家家臣・調役野尻源左衛門夫婦と道連れになる。野尻は、牧野備前守も用人の室尾寺も知っていた。そして薩摩藩の武芸者が追っていることも知らされた。京の薩摩藩を指揮っているのは、建部民部という剣術家だと知らされた。
足に怪我をした野尻の妻を庇いながら峠を越す。薩摩藩士が来るが退ける。
小浜藩藩校道場で数日を過ごし、琵琶湖竹生島へ行く。手島道場へ行くと空也は捕まり、牢舎に入れられた。道場主と孫が殺された時間、別な場所で空也は見られ、犯人でないことは分っていた。野尻と羅城坊が来てくれる。
竹生島の宝厳寺で建部が待っていた。隻眼で左足を引きずり竹杖で歩いた。不自由な右手で竹杖の中の忍刀が空也に放たれた。空也に眼帯を切られ隻眼が予期せぬ両眼になり焦点が変わっていた。空也は除けた。民部が間合いを詰めた。首筋に刃を打ち込む。民部は崖下に飛翔した。建部民部は策を弄する剣術家だった。島津重豪が放った最後の刺客だった。
九番勝負なり。
神無月 重富霧子、利次郎夫婦、眉月も姥捨の里にいた。長浜からの空也の文と今津屋の船で江戸からの荷物が届いた。
佐伯彦次郎は、和歌浦で百両勝負をし、空也が来るのを待っていた。
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