天下普請 稲葉稔
慶長三年 1598年 遠州山名郡木原郷から鈴木長次は木原吉次に率いられ江戸に出る。家康の家臣であり大工である。木原大工衆だ。長次は江戸城の天守閣を建てたいと思うが、家康は京大工衆を率いる中井正清に命じる。
長次は中井正清の仕事を知り、木原大工の後継の技術の向上を目指す。
家康が亡くなる。秀忠は江戸城天守を造り替える命令を長次に出す。天和天守。長次は大工頭となり五百石取りになった。家光の代になると天守は建て替えの命がでた。
三河伊賀八幡社の新造を任された。渾身の作・伊賀八幡社は現在国宝に指定され重要文化財になっている。
寛永十三年1636年 長次死亡
二年後、寛永天守の工事が竣工した。明暦三年1657年大火で焼失。
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