辻番奮闘記二 御成 上田秀人
島原の乱の後、潰された松倉家と禄高を減らされた寺沢家の企みに巻き込まれそうになった松浦家だったが辻番が、火の粉を払い大事にならずに済んだ。松平伊豆守に武器庫を見られた。平戸にあったオランダ商館は長崎に移され松浦家は逼迫した。
辻番頭と補佐は国許に帰り、斎弦ノ丞24才は家老滝沢大膳の姉の娘・津根27才を嫁にしていた。津根は病弱であり弦ノ丞より三才年上だった。馬廻りになっていた。滝沢は身贔屓などしない身内なればと無茶を押し付けるぐらいだった。
松倉の牢人が毎日仕官を願って門前に集まった。門番でなく辻番で処理しようとした殿・松浦肥前守重信と大膳は弦ノ丞に十石を加え、辻番頭に任命する。
牢人対策で辻番頭になったが、将軍・家光が松平伊豆の屋敷を訪れることになった。将軍の行列に一矢報いてやろうと松倉の牢人が廃屋敷の元松倉藩邸に集まっていた。前を通る松浦藩の辻番を一人殺す。いなくなった辻番を探し、弦ノ丞と南町奉行所吟味方与力・相生拓馬は空き屋敷に牢人が屯していることを知る。
当日、弦ノ丞と相生拓馬等は空き屋敷から出てきた牢人の前を塞ぎ、旗本寄合辻番が出てくるまで塞ぎ止めるが、空き屋敷に火を付けられ弦ノ丞は、配下の者に目が届かなかった。事が終わった時、配下に一人死者が出た。報告は旗本寄合辻番に任す。弦ノ丞は任を解かれた。
寄合辻番が松倉家空き屋敷の火事に気付き駆けつけたところ、不逞の輩が斬りかかってきたので松浦家の辻番の加勢を受けて撃退したと報告された。
手柄が欲しい寺沢兵庫頭堅高は、土井大炊頭の入れ知恵で牢人を雇い、行列を襲わせ、寺沢の藩士によって行列を護るという芝居をする。家光と松平伊豆守に見透かされる。何も声が掛からなかった。寺沢は菩提寺で自害した。寺沢家は改易になった。
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