2022年1月17日月曜日

春風ぞ吹く

春風ぞ吹く 宇江佐真理 
 〜代書屋五郎太参る〜

  小普請組、村椿五郎太。25才。先祖は甲斐の国、農民から身を起こし信玄の足軽の後、家康の家臣に仕え、慶長の役、大坂の陣での目覚ましい働きから主・村椿を賜る。江戸にて勘定奉行所役人を仰せつかる。その後、何代か後、料理茶屋に刀を忘れたことが公になり小普請組に落とされた。祖父、父と小普請のまま亡くなった。
 五郎太も学問所には行っているが、学問吟味で優秀な成績どころか緒会業に達していない。緒会業に達していなければ学問吟味は受けられない。
 五郎太は、乳兄弟・伝助がやっている水茶屋で代書屋の内職をしている。

 月に祈りを 幼馴染の俵紀乃が、勤め先で知った局の姉が、婚家に残してきた息子の事で悩んでいると相談に来る。代書屋で頼まれた仕事が、局の姉から息子に宛てた手紙だった。母子が会うことが出来、悩み事が解消された。
 二人は何となく一緒になると思っていた。俵家は息子・内記が御番入りし、父親・平太夫は五郎太に横柄になっていた。
 紀乃に縁談が持ち上がり秋の祝言が決まる。紀乃が縁談相手・宗像と二人の時、旗本の次男、三男の三人に絡まれ、紀乃を置き去りに逃げた。迎えに来た五郎太と彦六で紀乃を助けた。紀乃の祝言は駄目になった。五郎太は紀乃を妻にすると俵家に言うことを約束する。
 
 赤い簪、捨てかねて 仲人を立て俵家に行くが、小普請に娘はやらぬと断られた。二人の母親は賛成だった。紀乃は五郎太以外の人の所には嫁がないと言う。紀乃は平太夫の妹が嫁いでいる医者の所に預けられた。
 五郎太の手習所の橘和多利先生が、江戸を離れることになり、五郎太に勉学に必要な本や道具を残してくれた。和多利が学問吟味で一番に合格し備前岡山藩の儒官となった時、五郎太10才、和多利25才だった。手習所に行かないで泣いて暮らした。和多利に会いにくればいいと言われ訪ねていいことがわかり納まった。そんな和多利が岡山へ行く。
 和多利には赤い簪の思い残すことがあるようだ。昔、世話になった女の珊瑚の簪だった。五郎太は昔の知人を訪ね、持ち主を見付ける。和多利を呼び出し会わせるが、女は知らん顔していた。男はこのような涙を流すべきではない、女を笑いにごまかして泣かせるようではいけない。和多利は学問吟味に捉われ、物事の真実を見失うなと言い残した。
 紀乃から手紙を受け取り会う。和多利の赤い簪を磨き直し、紀乃に送った。

 魚族(いろくず)の夜空 昌平坂学問所の教授・大沢紫舟に、秋の大試業に合格するようと呼ばれる。
 代書屋の仕事で、緒会業で天文地理を教える二階堂秀遠先生に届けるよう頼まれた手紙は先生の父親の手紙だった。秀遠は養子先に子が出来その子に家を継がせるために養家を飛び出していた。今学問所で教え、二階堂家に養子に入っている。秀遠に手紙を届けた関係で、秀遠が田舎に帰る供をすることになった。弟が亡くなっていた。父も年を取っていた。
川で泳ぎ、畑仕事を手伝う。星を見ながら当たり前の暮らしも手に入れることが心許ない有り様だと嘆く五郎太に、まだ自分の持てる力に気付いておらぬ。大沢先生もそれを惜しんでおられた。志が低いとな。玉も磨かざれば光るまい。励め、ただ励め。と叱咤激励される。
 来年の夏、息子を連れてまた帰ってくるという秀遠に、五郎太は本当の弟子となってお供すると宣言する。
 五郎太の家の物干しで花火見物をする。下で平太夫が小普請が何をしておると言う。五郎太は御番入りしたのは内記であり、あなたではないと言い放つ。

 千の言葉より 夏、五郎太は大沢先生宅に夜、教えを請いに通っていた。
 九月に内記の祝言が決まった。内記の誘いで吉原に行く。
 吉原で五郎太が聞いたのは、昔の大沢の話だった。床入りを断り、学問吟味に落ちれば生きてはおれないと言う大沢に、自分は親や兄弟のために苦界に身を沈める暮らし、食う心配もせず学問に頭を悩ましていればいいのだから幸せな男だと言った紫舟花魁。試験に合格し、お役についたら迎えに来ると言った大沢。花魁の励ましは千の言葉よりこたえた。自分も千の言葉より真実を誓う。合格し、教授になってから毎月、銭を届けた。身請けの銭を一年払い続けた大沢に根負けした御亭さんは、紫舟を自由の身にした。大沢は名を紫舟にした。
 大試業が終わった。
 九月十五日、内記祝言
 大試業 及第
   
 春風ぞ吹く 代書屋の仕事で、大田南畝の手紙を京伝に届け、返事を大田に届ける。南畝は46才で学問吟味を一番で合格している。学問所の生徒にとって伝説の人だった。蜀山人だった。本を貰って帰る。
 わたしより学問吟味が大事かと問う紀乃に、誰のために学問吟味を受けているか、さほど祝言を挙げたければさっさと父親の勧める方と一緒になられたら良いと言ってしまった。紀乃は自害を図った。平太夫は祝言の許可をだした。
 大田が進呈してくれた「科場窓稿」には学問吟味の様子が細かく書かれていた。
 一月十六日から二十七日まで。
 三月、紫舟が内々で及第を告げに来た。林大学頭学問所の教授が相談して推薦状を提出した。蜀山人先生も推薦状を出して下さった。表御右筆に推挙される運びだ。御番入りが決まるまでこれまで通り学問所に通う。紫舟は、おぬしはわしの誇りだとの言葉を残す。五郎太には及第したことよりも貴重だった。
 学問吟味の褒章授与式の後、南畝に手紙を書く。
 早蕨のにぎりこぶしをふりあげて 山の横つら春風ぞ吹く の狂歌一首、返事が来た。
 表右筆役で御番入りが叶い、秋俵紀乃と祝言を挙げた。大沢紫舟、二階堂秀遠、橘和多利も出席した。祝辞を述べられ誰が欠けても自分はないと思い、ありがたく五郎太は大泣きした。
 五郎太は表右筆役を務めながら学問所教授方出役選考試験に及第し、教授方出役に当たった。晩年、教授方頭取勤方になる。
 

この本には、まだ続きがあるらしい。
 


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