2024年11月18日月曜日

定廻り同心新九郎、時を超える③蟷螂の城

定廻り同心新九郎、時を超える③蟷螂の城 山本巧次 

 瀬波新九郎は志津との祝言が後、半年になっていた。志津の父・畿三郎がお役を解かれるかも知れないという。畿三郎が、九曜紋と三つ柏の紋が入った脇差を所持していることを、上に告げた者がいた。九曜紋は石田三成、三つ柏は島左近の紋だった。誰が告げたか。畿三郎は役人が不正をしているようだと調べていた。役人の不正を調べ始めた。作事下奉行と大工の組頭を調べる。
 神田明神の階段で誰かに背中を突かれた。
 気が付いたところは、叢だった。関ヶ原戦いの後だった。湯上谷左馬介が逃げるとしたらどこに逃げるか。考えているところに妙な男が現れる。自分は東の方の者で戦いには加わっていないと説明する。宇喜多家の知り合いの家臣を探していると言った。彼は新免弁之助と名乗った。一緒に行動する事になった。村で落ち武者だと言われ捕らえられた。捕まった先に左馬介がいた。村に東側の足軽が五六人来た。次の日、足軽たちは殺されていた。村の村長に犯人を捕らえてやると申し出る。足跡を辿り、山に逃げた事を確かめた。次の日、離れた家の村人が殺された。笠を被った侍を見たものがいた。侍を見たと言った老婆が殺された。侍は三人組だとわかった。
 徳川の本体三万数千人がこの村は通るということがわかった。秀忠を狙うつもりだと思った。徳川の本体が通り過ぎるまで山狩りをして侍たちの邪魔をする事にした。
 秀忠は三十騎ばかりで先駆けしていた。火薬の匂いがする。左馬介は鉄砲の男めがけ石を投げた。鉄砲の狙いが狂った。先に杉の大木が倒れ道をふさいだ。左馬介は鉄砲の男と組み合ったまま街道に落ちた。弁之助と島左近が戦っていた。新九郎は二人を止めた。島左近は石田三成と島左近の紋が入った脇差をおいて逃げた。 左馬介の秀忠への弁明に脇差を見せた。愛する妻の元に帰りたいという左馬介に秀忠は脇差を下げ渡し、秀忠が経緯をしたため、秀忠の花押を入れた書きつけを貰った。左馬介は秀忠の俺の元の来ぬかと言う誘いに乗った。新免は黒田の指図を受けていると言った。新九郎は諸国を放浪すると言った。

 新九郎は奈津に会うために伏見に向かった。近江八幡で奈津に会った。奈津は泰平の世が来ると新九郎から聞いていたので徳川が勝つと思っていたと言った。新九郎は島左近の話をし、左馬介が、中納言に拾われたことを話す。島左近の脇差とそれを証するお墨付きを貰ったことも伝えた。奈津は、裏切ったことへの褒賞と見なすものもいるから、表に出さぬよう心がけると言った。奈津の難儀に現れるそなたに会えるかもと思って出てきたと話す。ならず者に囲まれた。二人で逃げ、新九郎は引きつけ役をする。逃げた先の階段が崩れ転がり落ちた。

 湯島の木戸番に助けられた。新九郎を突き落とした者を見ていた者がいた。
 脇差のことは分った。お墨付きを見付けよう。上谷の家の蔵を調べ志津が奈津の手鏡を見た。手鏡の裏が外れあのお墨付きが現れた。
 研師が、脇差を見せたことがあるという。相手は疑惑の義兄だった。
 徒目付と作事奉行の前で、新九郎を襲った者を追い込んだ。脇差のお墨付きのお陰で畿三郎は謹慎を解かれた。
 新免弁之助は、宮本武蔵だった。

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