2024年11月9日土曜日

定廻り同心新九郎、時を越える②岩鼠の城

定廻り同心新九郎、時を越える②岩鼠の城 山本巧次 

で 瀬波新九郎は、常磐津の師匠・凉が殺された事件にとりかかった。不忍池で溺れている子供を助けようとして池に落ちた。気が付けば伏見におり、僧に助けられていた。小袖を着、髷を直して貰い伝手を頼って、奈津姫に会う。時は、関白・秀次の家族が処刑された。
 奈津姫は、父親が関白の謀反ねの関わりについて詮議中のため離縁され寺に預けられていた。奈津姫は、父上が関白の謀反に関わっていたと石田治部に告げた太閤の御側衆の一人、田渕道謙が殺され、殺した疑いで湯上谷左馬介が捕まっていることを話す。左馬介の疑いを晴らしてほしいと言う。翌日、石田治部が奈津に問責する場にいた。父親の話しから殺人の話になった。左馬介は、遺体の横に立っているところを捕まったようだ。新九郎が十五日の間に真の下手人を見付けることになった。石田三成のお墨付きを貰った。
 牢にいる左馬介に会い、田渕の家にも行く。同じ時に田渕家を訪れていた、御側衆の者、宇喜多家の家臣、何人もに話しを聞く。田渕家の奉公人にも聞く。四日目の朝、奉公人・多江が殺された。多江は新九郎に合うつもりだったようだ。新九郎に会う前に会いに行った商人も殺された。新九郎は忍びに狙われた。島左近に助けられた。
 石田治部の屋敷で、犯人を発表する。証拠はないが、播磨の鶴岡家の土地が欲しかった。田渕は彼のことを良いように思っていなかった。湯上谷を嗾け田渕を斬らせようとした。最後に田渕が脇差で殺されたことをしゃべった。姫路近くに三千石の尾野忠兵衛だった。
 左馬介は解き放たれた。新九郎は、三成に五百石で召し抱えたいと言われた。新九郎は、未熟なので世の中を見て修業したいと言った。新九郎は左馬介に奈津殿をほっておくのかと言った。
 どうやって江戸に帰ろうと考えている時、島左近が現れる。左近は、徳川の間者と思っている。左近に斬りかかられ逃げた。川に落ちた。江戸に帰った。子供は助かっていた。

 常磐津の師匠殺しの犯人は、犯人だと思われていた者ではなく、噂になっていない者を噂になっていると言った男が犯人だった。二百年前の事件と同じようだった。
 新九郎と志津の祝言まで二か月になった。この前見た古文書に、今回の事件のことが書かれていた。

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