柳生三代の鬼謀 鳥羽亮
柳生但馬守宗厳(むねとし)1573年隠居 1593年65才但馬入道石舟斎宗厳(そうごん)を名乗る。徳川家康に仕える。関ヶ原の合戦後、二千石旧領が返る。1606年 80才死亡
新次郎厳勝(としかつ)宗厳嫡男 1571年20才 松永久秀方に付き筒井順慶と戦い負傷
又右衛門宗矩(むねのり) 宗厳五男 1594年 徳川家康に仕える。秀忠の兵法指南役になり一千石追加される。大阪の陣の後、坂崎家の家紋「二階笠」を家紋に使う。1621年家光の剣術指南役になる。但馬守任官 「兵法家伝書」 1646年死亡76才
兵介 厳勝嫡男 兵庫助利厳 尾張藩徳川義直に士官。兵法指南役
十兵衛三厳 宗矩嫡男 13才家光16才の小姓になる。三年後致仕。廻国修業に出る。書院番になる。「月之抄」1646年書院番を辞め柳生へ帰る。1648年死亡44才
左門友矩 1624年 14才家光の小姓になる。宗矩の考えで、家光から大名にするという沙汰を断り病のため致仕し柳生に帰る。翌年27才で死亡。
又十郎宗冬 38才で十兵衛に家光の嫡男竹千代の兵法指南役になれといわれ江戸の柳生道場を任される。
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