無茶の勘兵衛日月録19 天空の城 浅黄斑
延宝七年 1679年 新年
越前大野藩、旧主・松平直良が6月、75才で死に、8月、直明に襲封の許しが出た。
直明初めて、元日に新年の賀式に参列する。
大和郡山藩藩主・政長が分藩が去年仕掛けた梅干しの毒に殺された。分藩・出雲守政利らは本藩も自分の物になると思っていた。老中の集まりで、出雲守の中務大輔の毒殺の証拠があるとし、大目付・大岡の詳細な復命書があるということで、酒井大老の言い分は除けられた。
本多中務大輔政長の養嗣子・平八郎忠国は元服した。十二万石の家督に、政利の領地の三万石を忠国に戻し、十五万石で奥州福島は所替になった。出雲守は三万石加増で六万石明石への所替になった。
余談 本多忠国は三年後本貫地番衆姫路に国替えになった。
本多政利は六万石の領地と明石城を没収され堪忍料一万石で奥州岩瀬へ追いやられる。毒殺の罪を公にはしないが旧悪の報いを段階的に与えた。最後には三河岡崎藩の預かりとして岡崎城一室に幽閉された。
勘兵衛の妻・園枝が懐妊した。
郡山の日高の娘・小夜の産んだ勘兵衛の子が寛太ということを知らせられた。隠し子だった。
松平直堅に榎坂に三千五百坪の土地が下された。
勘兵衛は園枝を連れて国に帰った。9月
藩主・直明の妻・仙姫が嫡男を出産した。幼名松千代丸。
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