人を乞う あさのあつこ
伊吹籐士郎は天羽藩藩主吉岡左衛門尉継興の参勤交代の一行と共に国許に帰った。
家老や次席家老の不正を暴き、執政の場から退けられ、閉門蟄居、切腹かと思っていたが、変りはなかった。
藤四郎と柘植左京が側用人四谷半兵衛に城に呼び出されたために藤四郎は元服する。元服親は姉・美鶴の元夫今泉宗太郎に頼む。
二人は半兵衛に、家老一派の密書を持ち江戸へ行く密使の暗殺を命令される。二人は断るが、密使の一人が風見慶吾と知り、助けるために受ける。慶吾に付く刺客を四人倒し、慶吾を連れ、慶吾の母を逃がし、藤四郎が住む砂川に逃げる。
今泉宗太郎が頭をまるめ、医者になったと砂川に来る。家を出てきた。
地震が起り、山津波が起こった。十日後、山が崩れ、家が倒れ、藺草田は半分潰れているにも関わらず、年貢納入は半年猶予、四分の一を免除するとの沙汰がきた。
藤四郎は強訴にならないよう、天羽の政が変ったのか試すために訴状を持って側用人の所に行く。十日後、検分使が来た。七日後、年貢の八割免除、御救夫食米の加増、土砂除けい入費の全面負担、見舞金付与の沙汰が下った。しかし、二人は三月経っても帰らなかった。次の年の夏、二人は返された。藤四郎はやつれ切っていた。十日が経っても眠ったまま、水以外は吐いてしまう状態だった。
左京は領外追放になった。側用人は藤四郎をこのまま牢内で殺すつもりだったようだ。知り過ぎた。誰かが殿に進言した。藩主自ら放免を命じた。左京は柘植の者だから天羽の闇を担って来たものだから、全てを忘れることを誓い、藤四郎に手を出さない約定を取り付け、領内追放になった。左京は藤四郎に会わずに江戸へ発った。
藤四郎はここで生きることを決めた。
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