出絞と花かんざし 佐伯泰英
京北山の北山杉の里・雲ヶ畑の山小屋でかえでは暮らしていた。母を知らず、父と犬との暮らしだった。六才年上の従兄の萬吉と六才のかえでは、京見峠へ京の町を見に行った。途中、杉坂の船水で、祇園のお茶屋花見本多の女将と出会った。何年か後、京に出てきた時は頼っておいでという言葉を貰った。
二人は、上賀茂神社の巫女だった村長の嫁さんに読み書きを習うようになった。一年半が過ぎた。萬吉は北山杉を育てる山稼ぎをしている。三男の萬吉は京に出て宮大工になりたいと思っていた。
かえでの父親が小野郷の山で百年ものの天絞を見つけ三人で盗もうとして谷に落ち死んだ。かえでは村長の家の養女になった。萬吉は小野郷の材木商菩提寺屋の若旦那と馴染になり北山杉のことを教わった。
出会ってから二年が経ち、萬吉は花見本多に手紙を出し、宮大工の棟梁を紹介してもらい弟子になった。北山杉をよく知る萬吉は棟梁付の新弟子になった。英才教育を受け、六年が経った。
七年目、かえでが京に出てきた。 かえでは母が京生まれということで京へ行きたいと思っただけで、何をするか決めていない。かえでは舞妓を見、髪結いを見学し、舞妓の髪に付ける花かんざしを作る修業を選んだ。
かえでは、仙造の元で三年、職人が代々生み出し完成させた花かんざしの造り方を手と頭に刻み込んだ。師匠はかえでの考える花かんざしを一年分造ってみと言われた。行き詰まったかえでは北山に帰り自然の中を歩き、京へ帰った。
かえでが花かんざし職人として生きていけるか審査される日が決まった。
かえでの花かんざしを造り始めて四ヶ月後、花見本多の広座敷に花畑が満開に咲くように四季の花々が飾られ、花かんざしが披露された。
かえでの義母、実母、萬吉の父母、師匠、菩提寺屋の主人、若旦那、大工仲間、舞妓等が集まった。
萬吉は師匠の跡継ぎになるような話しも聞こえてくる。
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