無根の樹 三好昌子
鴛鴦図の女 明和三年 1776年 五月京都西町奉行所同心・榊玄一郎。手下の小吉。堀川の心中死体を調べに行く。現場に奉行所侍医・久我島冬吾がいた。久我島は人助けと思って心中であることをもみ消せと言う。玄一郎は心中事件そ調べる。
北川夕斎と女中・光。夕斎は美人画の絵師だったが、卒中で倒れ絵が描けなくなっていたが、一年前から幽霊絵師として売り出していた。光は松永堂から北川家に女中として送り込まれ、役者の恋人がいた。夕斎の妻・美和は、玄一郎の妻・多恵の知り合いだった。美和は絵が描けた。美和は夕斎の名で絵を描いていた。松永堂の進めだった。夕斎は庭の池で死んでいた。留守の光を責め言い争い光を殺してしまった。松永堂の忠兵衛が心中として片づけた。
美和が死んだ。多恵に美和の落款が入った絵を残して。男女の絵だったが、男女が消えて道が一本残った。
天馬の男 明和三年 1776年 九月 松永堂の忠兵衛が殺された。壺の中の金が盗まれていた。
隠居した元与力・孝太夫のところで久我島と一緒に天馬空を行くという馬の絵を見せられる。天馬飛翔図。肉筆画だ。二十年前、天馬の絵が市中にばらまかれ尊王事件として大騒ぎになった。禁裏に勤める絵師・式岡華焔が捕まり、所払いになった。
玄一郎の父親はこの頃に斬られ亡くなった。
松永堂を調べた時、ばらまかれた天馬の絵の版画が見付かった。久我島は町奉行とともに京都の尊王論に関することを調べる密命を受けていたことを告白する。力を貸して欲しいという。大滅派と言う危険思想を片づける。
忠兵衛は似絵売りをしていた。忠兵衛を殺したのは黒ずくめの男だった。天馬の絵を出した蓬莱屋の息子は忠兵衛に頼まれて運んだだけだと言った。孝太夫に見せた「魅山堂」に持って行ったのが蓬莱屋の息子だった。玄一郎は天馬の絵を持って家に帰る。多恵が華焔のことを知っていた。
久我島が華焔のことを調べた。華焔は絵を描いたことを認め護送された。護送途中で殺された。護送していたのは榊玄信・玄一郎の父だった。華焔の家族は14才の天馬、弟は颯馬、妹は夕衣だった。行方不明。
多恵の父親に絵を見せわかったこと、絵は息子・天馬が描いた物だろう。多恵は華焔の娘・夕衣。多恵の兄が言った。小吉は多分颯馬。
天馬が描いた絵に主上が画讃を描いた。魅山堂は猩々衆だった。情報集め集団。二十年前、式岡華焔が殺される所に行き合わせた。玄信が華焔を守っていたが殺された。天馬がいた。天馬は逃げ魅山堂の息子に助けられ猩々児になっている。猩々児は敵を討とうとしている。
王政復古を唱える伊佐船屋の本拠地へ行く。玄一郎は父親の敵というよりも、妻の兄たちを助けるために、久我島と一緒に伊佐船屋は死に、絵は燃やされた。天馬は久我島と江戸へ行った。
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