山月庵茶会記 葉室麟
宝暦二年(1752年)正月 柏木靭負(ゆきえ)は16年ぶりに豊後鶴ケ江の黒島藩へ帰国した。16年前政争に破れ、妻・藤尾が自裁し致仕し京に行き茶人となった。妻の死を納得するために帰ってきた。
16年前に靭負が国役免除になるように老中松平乗邑に働き掛けたことを隠密が調べ始めたため、殿・黒島興長の命により靭負の重臣に成ることが阻まれた。殿からの密書を藤尾が見てしまい、靭負に何も言えず死んでいったのだった。
靭負はまだ、隠密(草)がいる事を知り、隠密として未だ生きている者と隠密を脱けようとするものと対峙させる。隠密を脱けようとした靭負の養子・清三郎が残った。
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