浅草料理捕物帖〈三〉 正直そば 小杉健治
蕎麦屋「桔梗屋」で修業をしていた与吉は、どんどんつなぎを増やす店に見切りをつけ、独立して蕎麦屋「多幸庵」を出した。与吉はいつも蕎麦を残す常連客・作治のことを孝助に調べてもらう。桔梗屋の嫌がらせかと思っている。
多幸庵で食中たりを起こした小間物問屋「白河屋」の旦那・左平衛が翌日亡くなった。多幸庵の客が来なくなる。孝助は自分の店の客に左平衛の死亡と多幸庵の関わりが無いことを話、多幸庵を救って欲しいと頼む。作治に残さず蕎麦を食べてもらうために研究した与吉の蕎麦は美味しく人気がでる。品評会で一位になった。品評会に推薦したのは作治で作治に目を掛けてくれるように頼んだのは、桔梗屋の主人だった。
作治は信州善光寺前で蕎麦屋をやっていた蕎麦打ち名人だった。作治の店も蕎麦を食べて亡くなった人が出たために潰れていた。作治は蕎麦を受け付けない体質の人がいることを知った。
孝助は白河屋の左平衛の死を調べていた。枕元の少量の白い粉が気になっていた。左平衛の勘当されていた息子・佐吉が帰って来て店を継ぐ。佐吉を調べた孝助は佐吉が下駄屋の主人を殺し、下駄屋に入り込みおすみと一緒に暮らしていたが左平衛がなくなり、おすみを殺して白河屋に帰ってきたことを調べ上げる。左平衛は佐吉が帰るように訪ねたが、別れたくないおすみは、佐吉が亭主を殺したことを左平衛に話したため、左平衛は佐吉を白河屋に戻すことを止める。そのために左平衛が蕎麦アレルギーと知った佐吉は、左平衛の後添え・おしまと番頭・沢太郎を仲間にし蕎麦粉を左平衛の顔に降った。そのために左平衛は亡くなっていた。
佐吉はおすみ夫婦を殺した罪で獄門、左平衛は発作で亡くなったことに変わりがないが、おしまと沢太郎は白河屋を出た。
多幸庵はそば殻の入ったお手玉を置き、初めてのお客様に握って貰うことにした。
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