2016年9月21日水曜日

励み場

励み場 青山文平
 知恵(ともえ) 父・成宮理兵衛 石澤郡に田畑を持っている。三人の支配人と九人の預かり人を雇うほどの小作を抱えている。姉、多喜30才三度離婚している。知恵は19才で嫁し、子供が出来なくて三年で出戻る。22才で笹森信郎27才と結婚し、三年前、信郎が前勘定所普請役になり、江戸へ来た。
 知恵は結婚の時、自分が理兵衛の子でないことを告げた。信郎は自分が名子だから武士にならなければならないと思っていることを告げた。
 知恵は五才の時、成宮の家に来た。「あの子は名子なのだ。」「あの子なら良いのです。」という父母の話を聞いた。六才の時、その母が亡くなり、もうこの家にいられないと思い家を出たが連れ戻された。人を見、検証し、十三才の時、弥吉に名子とはどういう者かと聞いた。昔、武家だった領主に仕えていた家来、領主が身分よりも領地をとって百姓になった領主の家来のことだと教えられた。
 笹森信郎は陣屋の書き役から元締め手代まで上り詰めた。武士になるために江戸へ出て勘定所の普請役になった。二年で支配勘定になるつもりだった。支配勘定は武士なのだ。そんな時、勘定の青木昌泰から久松加平を調べ、上本条村の視察を言い付かる。支配勘定を飛び越え声がかかることなど珍しい。昌泰は四年前、徒目付から勘定所に、支配勘定から勘定へ、御殿勘定所へ移るのも近いと目されている。
 信郎は上本条村の村を見、加平の話を聞く。加平が私財で開墾をし、御救い米を出し、百姓を助けたように言われているが、加平の下で働く名子・勘平が成したことだった。私財は勘平が作る肥料が生むものだった。勘平は家族共々焼き殺されていた。そして、肥料の中心になる、久松家秘技の塩哨が作れなくなっている。
 信郎は加平に信郎の故郷西脇村の堀越家の嗣子・英輔が亡くなった事を知らされた。信郎は報告書に有りにままを書いた。昌泰の言うように書けば、支配勘定でも徒目付けにでもするつもりだと言われた。信郎は致仕願いを出し、西脇村に帰り、新しい勘三になろうと思った。名子を識り、名子という境遇を己で始末できると思った。知恵が離縁を望むなら仕方がないと覚悟を固めた。
 知恵は信郎が武士になれないのは自分がいる所為だと思っていた。自分がいなければ婿の口が有り引きがあるはずと思う。子供がいなくて良かったと思った時、子供が出来た。子供を無くしてしまおうとするが、知恵のしそうなことを考えた理兵衛によって、多喜がやってきて阻止される。
 多喜は知恵が理兵衛の姪であることを知らし、名子は自分だと言う。知恵は信郎に子供が出来たことを言おうと思った。武家になるのに邪魔なら離縁してもらう。そうでなければ、別れるつもりはない。覚悟を決めた。
 弥吉は多喜の家の名子だった。多喜は自分が名子なのを知恵が知ったと思っていた。知恵が自分が名子と思っていることは知らなかった。多岐は理兵衛が一番好きだった。だから結婚しても帰ってくる。
 

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