山本兵庫の家臣に屋敷を襲われた深室作右衛門は目付に追求されていた。
賢治郎は別家を許された。三百石、知行地は相模の国の三村内、屋敷は下富坂町にある。
作右衛門は三弥を誘拐され、罪を認めるよう強要され、認める。家綱が「ゆえありて深室作右衛門の禄を半減し、役を免じる。家綱が許すまで謹んでいるように。」と言うお沙汰に決まった。深川に転居
賢治郎の兄・松平主馬は三弥を誘拐し、賢治郎を呼び出し殺そうとする。家綱の耳に入り主馬は座敷牢押し込めになる。
賢治郎は松平に戻り、大津町奉行を拝命する。千石高だ。二年で寺と大津代官を御せといわれる。二年で帰ってこい。家綱の命令だ。
三弥は家綱が大奥で預かってくれる。
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