2017年1月19日木曜日

慶応三年の水練侍

慶応三年の水練侍 木村忠啓
 市川清之助 百五十石 18才
 谷口善之丞 25才 三千石家老・藤堂数馬光訓の家臣
 藤堂家嘉永の大爆発により光訓42才 善之丞も死亡した。善之丞は清之助に「息子・善幸が妙な道に進みそうになれば叱り付けて欲しい」と言い残す。
 慶応三年 1867年 6月 清之助35才
 谷口善幸25才が 津に帰ってきた。清之助に敵意を持っているようだ。水練競争が行われることになった。清之助は忍町で伊賀者の水練を受けることになった。久保田伊八 貝野篤之助 国兵衛
 清之助は善幸に勝ち一番になった。善幸は中庸の津で声高に勤王を主張し、同士を集め津を去る事態を作った。極端な勤皇の士を伴って津を去る。光徳を諌める効果を狙う。
 出奔は計画には無かった。勤皇派を煽った所為で清之助の若党・笹間新十郎20才が死ぬことになってしまったから出奔することにした。
 父が死ぬ前に名を呼び続けた清之助に嫉妬心や対抗心があった。始めはガッカリし、敵意は本心だった。伊賀での努力振りを知り、頭が下がった。さすが父が見込んだ方、「父が信じる友の歩みを助けよ」父の遺言だった。
 清之助は水練の練習時、もう一回自分を追い込もうと思った。己に勝つために。道を誤って居たのは善幸ではなく、いつの間にか怠惰な道に迷い込んでいた自分だった。擦れた道から善幸が引っ張り上げてくれたと思った。
 

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