古代道路の謎 奈良時代の巨大国家プロジェクト 近江俊秀
藤原京など都と地方を結ぶことを目的に古代道路「駅路」が造成された。直線で巨大な幅、総延長6300キロ
中央集権国家・律令国家が完成 藤原京・平城京
駅屋・16キロごとに配置 幅・最小6m 最大30m 他に伝路がある。道幅を示すため側溝がある。
駅路の維持は地方に任された。奈良時代の終わり、八世紀後半、道幅が狭くなる。維持したところで地方の人々にとっては重要でない道路のため、荘園が増え、国司の力が強くなり、中央の支配力が衰え維持、管理をしなくなり、道幅が狭くなったり管理しやすい便利な場所に作り変えられたりした。直線でなくなった。
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