2015年6月12日金曜日

春雷 

春雷 葉室麟
 羽根藩藩主・兼清の乗った馬に蹴られ、娘とお腹の中の子どもを亡くした多聞隼人は十五年後、羽根藩の家老になり、鬼多聞と呼ばれていた。
 多聞は黒菱沼の干拓工事が始まり起こった百姓一揆を鎮めるために一人の領民を殺した罪で切腹の沙汰が出た。
 多聞が失敗することを見込んだ干拓であり、一人の家老・塩川が一人の領民と手を組みやらせた百姓一揆だった。
 公儀より、多聞を討ったことで、兼清は隠居させられ、塩川も咎めを受けた。
 干拓は再開された。
 

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