宗元寺隼人密命帖(二) 幽霊の足 荒崎一海
文政六年 1823年 初春1月16日
宗元寺隼人35才 三河の国西尾六万石松平大給の松平和泉守乗寛45才の甥 乗寛は去年の秋に京都所司代から老中になる。
隼人は伊賀忍に命を狙われている。
丹波の国福知山藩三万二千石朽木家の事件の結果、駿河の国沼津藩四万石老中主座水野出羽守忠成の内諾を得、主計頭より千両を得る。小四郎(甲賀忍)に五十両、町方定廻りに二十五両、御用聞きに十五両、弥生(小四郎の妹)に十両分ける。
京の商家の娘が藩の下屋敷に結婚を約束した小野大助を訪ねてきた。大介は死んでいた。娘は大川に身を投げた。番頭は詳しく聞く、大介は三月に辻斬りに殺されていた。が番頭は四月まで京に居たという。乗寛は小太郎(小四郎の兄)に京のことを調べさせた。家臣の名を騙る不届きものを捜し出すよう隼人は言われた。
騙りが動き始めたのは老中・土井大炊守が二十日程寝込んだ一昨年十一月頃から始まる。次の老中に京都所司代の乗寛の名が上がった時、内心面白くない者がいた。京の商家の娘に近付き、結婚をエサに持参金を持たせ送り出された途中で持参金を奪い、女を売り、京の商家が知るようにする。家臣が問題を起こし、乗寛の老中は無くなる。という筋書きだった。
誰が大介を騙ったか。何故大介は殺されたか。
小野大助27才は、出羽守の奥御殿で奉公している従姉妹から自分の藩の殿様(乗寛)が老中になれないように自分の名前(小野大助)を騙った悪巧みが進行していることを聞き、剣の道場主・九里伝十郎に伝えてから京都に行こうとした。大野大介の名前を使用するようにしたのが九里だったのだ。知られたことが分かり大介は殺された。京の大介は途中で呼び戻された。娘が来なければ分からなかった事件だった。
全てを知った乗寛は柴崎彦六を国許に行かせ離縁させる。妻・津耶を用人預かりとし、小野家を名乗らせ再興させた。
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