2016年2月2日火曜日

江戸人情街道

江戸人情街道 菖蒲侍 井川香四郎
 菖蒲侍 肥後熊本の豪農の六男に生まれた善兵衛は絹問屋の婿養子になる。百両を融通してもらい寸志御家人になり花御殿に近づき、御花奉行と呼ばれる緒方藤五郎に近づいた。文化十三年 1816年将軍家斉が病気の生母に菖蒲の花を見せたいと御触れが出た。善兵衛は自分が育てた鉢植えの菖蒲を持って江戸へ行く。大磯で大津波に遭った子供たちを見、一鉢残った菖蒲を将軍家御花指南役・伊勢津藩の柿沼に五十両で売り、子供たちに与えた。
菖蒲は奇麗に咲いた。細川の殿様は、伊勢の面子を立ててやり、困った子供を救い、将軍御生母様は喜びと褒めた。将軍は肥後菖蒲と見抜いた。鉢に、藩の家紋九曜星が焼かれていた。椿、芍薬、菊、朝顔、山茶花に菖蒲を加えて、肥後六花で売り出すことになった。絹問屋は花屋になった。
 鷹匠でござる 伊予金子藩一万石の殿様は元は鷹匠の下男だったという。雪太郎は奥州棚倉藩一万三千石藩主松平少将惟政が五才の時棄てられていた雪太郎を見付け、お狩り場で兄弟の様にして育った。口調も殿様口調になった。水野忠邦の改革批判をして棚倉藩は潰された。少将は、雪太郎に家康公から授かった脇差しを与え、旅に出新しい行き方を見付けよといい、切腹した。
津軽藩十万石当主津軽侍従信順と会う。信順は獅子身中の虫を捕まえるために馬鹿殿の振りをしていたが、雪太郎がきっかけで、家老高倉の密貿易が明らかになる。信順は雪太郎を引き止めたが旅に出てしまった。六年後、天保十二年(1841)の春、伊予金子藩の藩主になった。
 ひとつぶの銀 植村文楽軒は人殺しと火付けで追われている夜鷹の格好の女・お絹を助けた。淡路島まで逃がすつもりが捕まってしまった。お絹が殺したとされる田島屋の手代の殺人場面を犯人が番頭という設定で人形浄瑠璃で演じる。見ていた番頭が思わず叫び、現れた佐伯同心に捕まり、揉み合っているうちに刺してしまったことを白状した。火付けは土間にあった蓑笠が囲炉裏へ飛び込んだからだった。
文楽軒は十五年前、小屋が流され人形を失い死ぬつもりのところをお絹に助けられたのだった。佐伯はお絹に伝え、お絹やり直せるかと聞く。お絹は頷く。
 御馬番 使い道がなく年取った馬は他所の藩領で売られる。大瀬藩の御馬仕付世話方の牛尾秀政は妻恋藩へ行ったが馬の目を見て買い戻してしまった。放して来たつもりが付いてきてしまった。馬は柵を軽々飛び越えて中に入った。秀政は御前馬術で騎馬奉行と勝負することになった。覇王と名付け練習する。
試合の日、馬場馬術、野外騎乗が終わり障害飛超になった。両馬が障害に向かった。騎馬奉行は飛び超えた。着地に失敗し、馬は足を痛め、走れなくなった馬は可哀想と留めを刺された。秀政はぎりぎりで止めた。藩主は馬が可哀想だ。私は馬を道具扱いせよとは言っていない。馬術神髄を学び直せ。という。御馬番、精進せよ。馬も褒められた。
 ため息橋 ヴェネチアで医者をしている周次郎(37)。日本で浮気ぐらい何が悪いという妻を斬った。周次郎は逃げてここまで来た。宝暦十年 1760年十五年前に日本を出た。
手伝いに来ていたニコが殺され、周次郎が犯人とされた。が真犯人が見付かり釈放されたが、真犯人が本当の犯人に思えない周次郎は、自分が犯人だと名乗り出て処刑された。
日本で処刑される筈が十五年延びただけと思いながら。
 露の五郎兵衛 千日回峰行をし阿闍梨になろうとしていた鈍念が山を下りて、五郎兵衛の弟子になった。話術で人を集める修業だ。寺町に人を集めようとする。三日に一つ新しい話をする。一年が経ち、人が集まり寺が門戸を開く。鈍念が会いたかった昔の恋人が子供を連れて現れた。自分のことを話にして、芝居相手のように見つめて話す。会えて良かった。
露之五郎兵衛は倒れた。鈍念は江戸から花火師を呼ぶ。商家から花火の後で店の名前を呼ぶことでお金を集めた。花火のなかで五郎兵衛は死ぬ。一年後、鈍念は五郎兵衛を襲名する。数年後、元禄になって噺家の始祖の一人として名を轟かせる。

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