2015年11月11日水曜日

ぜえろく武士道覚書

ぜえろく武士道覚書 斬りて候(上) 門田泰明
 寛文十年 1670年 京
 常森源治郎は二年前京都町奉行所が設置され、江戸から事件取り調べ教育方同心として出向していた。綽名を検視の源治 岡っ引き得二を江戸から連れてきていた。
 京の町で無差別な連続殺人が起こった。源治郎は身分の高そうな松平政宗に手伝って貰い解決する。犯人は阿蘭陀商館長の女と京都所司代筆頭与力との間にできた息子・大宮窓四郎と名乗っていた。与力は妻を持つ事が決まった時女に殺された。
 源治郎と政宗の知人・胡蝶の女将・高柳早苗は江戸から父親の仇を討つために京へ来ていた。父に小太刀を習っていた早苗は、政宗に習い始めた。仇は三人いた。そのうちの一人と寺の宝物泥棒として出会う。政宗は貴族が襲われているところに出会し、黒装束を斬った、その男が泥棒していた仇の一人だった。
  松平政宗の身分を源治郎は知らない。後水尾法皇が政宗の父だった。嵯峨宮武将親王の名を与えられた。政宗は法皇に会い、貴族が徳川に謀反を起こそうとしているようだと告げる。知らない振りをし、自分に全権を与えて欲しいという。

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