2017年4月9日日曜日

町奉行日記〈上〉 

町奉行日記〈上〉 山本周五郎
 土佐の国柱 土佐守山内一豊が亡くなる時、まだ土佐を治めきれていなかった。寵臣・高閑斧兵衛は追い腹を許されるが、三年後にすること。土産を持ってくることと言われる。土佐一国、山内家に帰服するよう心がけるがもうすぐ三年になるという時、斧兵衛は山内家を不満に思う分子を集め蜂起する。娘を使い蜂起することが池藤小弥太に伝わるようにする。反逆者は一掃され、一豊への土産とされた。
 晩秋 岡崎藩用人・進藤主計は二十年近く藩制の実権を握っていた。圧迫と年貢の重課とで怨嗟の的になっていた。秕政を指摘すると仮借なく役を追い罪んい落とした。都留の父親も切腹した。進藤主計が政治向きに私心があったということでお預けになっている。都留は世話係になった。独身で質素な生活だった。彼は自分の裁きの書類を作っていた。岡崎藩の基礎確立のためにしなければならなかったが確率すれば、苛斂誅求は最悪なるもの進藤主計の罪は死に当たると言いきる。都留は懐剣を仕舞った。
 金五十両 真面目にお店者として働いていた宗吉、お金をためていると思っていたが叔父が持って行っていた。太物問屋の番頭の悪巧みの尻拭いにされた。手伝いをしていた先輩は店のお嬢さんと夫婦になり出店をしてもらっていた。宗吉は旅に出た。食い逃げして縛り首でも島流しでもと考えている時に滝と会った。お金そ渡され払って行きな。と言われる。旅の途中、侍に五十両渡され、届けて欲しいと頼まれる。宗吉は滝の所に行く。滝はお金を渡してこいという。五十両届けると手紙とお礼に五十両わたされた。滝の所に帰る。
 落ち梅記 沢渡金之助には、一緒になるだろうと思っていた由利江という人がいた。由利江は身をを持ち崩しそうな幼友達・公郷半三郎と一緒になった。父・助左衛門は次席家老・側用人を務めていた。大阪に商家を持ち藩の公金を商家を通して私腹している藩の重役・老臣の証拠を集めている最中に卒中で亡くなった。金之助は知らされる。殿様から政治の粛正のためその方父子には目を瞑ってもらわなければならないといわれる。金之助は父の集めた証拠を出し、目付けに半三郎を推薦する。金之助はお預けになった。半三郎は次席家老になった。
 寒橋 孝は婿を取った。婿が女中に手を付け子供が出来た。孝の父親が亡くなる寸前、婿に済まない、自分の子供を婿に押し付けてと言ってなくなる。それを聞いていた孝は子供を引き取ろうと思う。婿は義父に決して孝を不幸にしないと思う。
 わたしです物語 頼りない忠平考之助は婚約しているが五年、結婚の許しが出ない。そんな時、婚約者・伊久は身ごもったので家に帰れない、匿って欲しいと言ってくる。相手はわたしだということにして匿うという。それ以後、ギヤマンの壺を壊したのも、机の上のお金が無くなったのも私だ。という。甲冑を壊したのも、女に抱きついたのもわたしだと言う。考之助はお役目で江戸に行く時、美人局に遭い切腹を覚悟した。その時浪人に助けられ、お役目を全うしてきた。帰ってから自分に出来ることは、失敗した者を助けるぐらいだと思ったのだった。身ごもったというのが嘘だった伊久と結婚する。火鉢をひっくり返し火事を出しそうだった男の身代わりになり喘息になった家老・茂平に「辞職するおまえ家老になれ」と言われる。

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