2017年4月10日月曜日

町奉行日記〈下〉

町奉行日記〈下〉 山本周五郎
 修業奇譚 河津小弥太が伊勢と婚約したのは五年前だが、伊勢の父親から婚約解消を言われた。小弥太は納得しない。小弥太は不愉快だと即座に暴力に及ぶ。感情の抑制が効かないようだ。小弥太は出会った剣術の神といわれる一無斎のところに修業に行くことにした。大峰山系の中で薪割り、炭焼き、炊事、洗濯、里への買い出し、肩もみ、炭俵を編み、縄、蓆、草鞋を作る。一月経った。急流に魚をつかみに行き死にかけた。落とし穴に嵌まった。丸太が倒れてきた。火薬が爆発した。上から石が転げてきた。五寸釘を踏み抜いた。毒木の実を食べさせられた。小弥太は家に帰った。乱暴をしなくなった。伊勢と祝言を挙げた。山の六助が炭の注文を取りに来た。一無斎だった。
 法師川八景 つぢは久野豊四郎の子供を身ごもった。法師峡で忍んで会っていた。豊四郎は母に話すと言った。つぢには佐藤又兵衛という許嫁がいた。豊四郎の友達だった。豊四郎は落馬して亡くなった。つぢは久野家に行き子供の事を話すが、聞いていないし、信用出来ないと言われる。つぢは父母に身ごもったことを伝えたが、相手の名前は言わなかった。法師川の見える笈川村の父の乳母の里に隠れ住んだ。又兵衛が来た。時々来ると言って帰る。月に一回ほど訪れる。子供に吉松と名付けた。久野がつぢを迎えに来た。つぢがどんな人か試していたと言う。又兵衛が報告していた。久野の娘として一年もいてくれればいい。という。
 町奉行日記 江戸から新任の奉行が来る。望月小平太26才。今年になって四人目の奉行だった。小弥太は和泉守信真から直に濠外の掃除を命令されていた。濠外は悪の巣窟になっていた抜荷、その売買、博打場、宿は遊廓、盗賊、喧嘩、殺傷、外部から手を出せないようになっていた。濠外の力が城中にも及んでいた。毒は広範囲に広がり、骨深く染みとおり毒されている当人も毒されていることに気付かない所まで来ている。
 小弥太は根元の親方三人に、町人姿で接し、懐に入り込み三人の立ち退きを了承させた。家財を処理して立ち退いた。町人と城中の間を取り持ち私腹を肥やしていた者もあぶり出し、切腹に追い込んだ。四ヶ月の町奉行職がとかれた。一度も町奉行として出仕せずと奉行日記に記される。
 霜柱 次永喜兵衛は廃屋になった次永家を再興し中老の娘・すみを娶る約束で、郡代支配という役についた。繁野兵庫の控屋敷に住んでいる。申し分無しの境遇だった。ただ、繁野兵庫が些細な誤りも見逃さない。助役や下役の思い違いや誤りまで喜兵衛を叱る。従兄弟が言う。「物事は始めが肝心と思ってのことだろう。またおまえを好いているということだ。」
 兵庫には義十郎という息子がいた。一人息子で可愛がり我儘いっぱいに育ち、道楽が始まったら手が付けられなくなった。博打場で喧嘩し、八年前に勘当していた。息子の育て方を後悔して必要以上に厳しくしたのだろう。
義十郎が現れた、この家も許嫁のも自分のものだった。横取りするなら五十両持ってこいという。口でも喧嘩でも喜兵衛が勝ったが、義十郎が藩中を家老繁野兵庫の息子だと伸し歩くという言葉を聞いて、五十両を了承する。捨ててもいい刀を用意する。翌朝、八幡社で怪我をし、済ませてきた。自分の手でやりたかったと言う家老・繁野に会った。
 

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