2018年2月3日土曜日

まるまるの毬 

まるまるの毬 西條奈加
 麹町に南星屋という菓子屋がある。一日二、三品毎日商うものが変わり、昼近くに開き、売り切れれば終わる。日本中の御菓子を作る。
 主は治兵衛60才、治兵衛の娘・永33才、永の娘・君16才の三人で商っていた。
 治兵衛は五百石の旗本・岡本家の次男・小平治として育った。十才の時、自分が将軍・家斉の子であることを知り、菓子職人に弟子入りした。岡本家は長男が継いだ。三男・五郎は相典寺の大住職・石海となっている。家斉の子ということを知っているのは、岡本家の当主と本人と弟・五郎だけである。菓子屋で十年修行した後、二年の奉公をし、十六年を諸国廻りに費やした。遠江で結婚し、九州で妻を亡くし、八才の永を連れて三年かけて江戸に戻った。永が十一才の時、南星屋を持った。永は左官と所帯を持ったが、別の女と懇ろになったので君を連れて店に戻った。
 治兵衛が、肥前平戸藩のお留め菓子を作ったと訴えられ南町奉行所に捕まった。岡本家には、治兵衛が子ども頃、将軍からのおかし(お下賜)が御菓子だった。珍しいものを賜った。その中にカスドースがあり、治兵衛が作った。治兵衛はもう一度作るから同じものか判断して欲しいと申し入れ、同じような菓子を違った物で作り、御留め菓子でなかったことが認められた。
 平戸藩の河路金吾が南星屋に出入するようになる。
 六年ぶりに君の父親・修蔵が江戸に帰って来ていた。永は時々修蔵のところに行っている。君は父を許せないと言う。六年前、帰って来た修蔵を拒んだのは永だった。許せなかった。永は告白する。
 金吾の父親が倒れ、金吾は国許に帰ることになった。金吾は君に一緒に来て欲しいと頼み、君は岡本家で見習い奉公を一年することになった。
 岡本家御用達の菓子屋・柑子屋が潰れた。南星屋を憎く思っている主は、岡本家の当主が治兵衛が将軍の子だと言うのを聞き、御上に告げ口をしたようだ。主は治兵衛に、ー上様のご落胤が、腹に一物抱えているとなれば、ただでは済みますまい。ーと言った。
 徒士目付け組頭が来る。先の上様のご落胤だと吹聴している。外様大名と良からぬ企てをしていると責められる。
 大目付から金吾と君の婚姻を止められた。岡本家当主・慶栄は小普請組に配された。屋敷をでなければならない。慶栄は隠居し、息子・志隆に家督を譲る。石海は相典寺の住職を辞めることになった。治兵衛は自分の所為でみんなが厄介なことになっていたたまれない。
 平戸藩の家老から、紀州の殿様が病気で何も食べない。昔、食べた御菓子が食べたいそうだが誰も作れないそうだと言う話しを聞く。治兵衛と五郎は昔食べた御菓子を話しながら思い出す。治兵衛は家老を通じて文旦の砂糖漬けを使うことを伝える。紀州の殿様は家斉の子・治兵衛の弟だった。
 紀州家が喜び御礼として岡本家は五百石に復す。元の拝領屋敷に住むことを許された。石海も相典寺と同等の大刹にというはなしを石海は断った。君の縁段は覆せなかった。
 治兵衛と君は初めて新しいお菓子・南天月を作った。季節によって中の餡に混ぜるものを変える。君は職人になるつもりのようだ。
 柑子屋の主が、私はあんたに詫びるつもりはない。あんたは何一つ無くしていないのだから。と言う。 

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