若鷹武芸帖 岡本さとる
文政元年
新宮鷹之介25才は三百俵の直参旗本で小姓組番衆を務めている。剣の師・桃井春蔵直一には武芸を追い求めれば、古今稀に見る名人になるだろうと言われている。本人は出世を望んでいた。
若年寄・京極周防守高備62才・丹後峰山藩一万一千百石の大名に呼び出された。上様のお達しで、近々立ち上げる武芸帖編纂所を鷹之介に任される。武芸帖編纂所頭取という役を拝命する。屋敷の隣の空き地に編纂所を建てる。武芸者・水軒三右衛門が一人付く。編纂所に長屋を併設する。月の用度が十両、五人扶持。事細かに決まっていた。出世の機会が無くなったような気がした。
水軒三右衛門は先代柳生但馬守俊則が目をかけた弟子だった。家斉の剣術指南をしたこともあった。五日も遅れてきた水軒はいい加減なおっさんだった。桃井を貶す三右衛門と一手指南をと剣を構える。三右衛門は強かった。三殿と呼ぶことになった。三右衛門は紋服一揃えと月三両を貰う。
三殿がもう一人雇いたいと言う。円明流の使い手・松岡大八。長屋に住んでいた。誘いを断られる。松岡が世話になっているこうとちよ親子のために、付きまとっている元亭主をやり込め離縁状を書かせた。こうは長屋の卯之助と所帯を持つことが出来た。松岡は長屋を出、鷹之介のところにきた。京極周防守から許可が出た。紋服一揃えと三両が出た。
各藩からの書類が届く。角野流という手裏剣の流派について調べることにする。上様はどんな流派が出てくるか楽しみにしているということだった。
角野流の最後の師範は亡くなっていた。「角野源兵衛より富沢秋之助が相伝を受け、秋之助が死に際し 一女・春に相伝し今にいたる」。
調べている最中に五千石の旗本望月家の良からぬ行いが明るみにで、隠居させられるようだ。家斉は鷹が暴れているようだ。若鷹がどこまで飛び立つか楽しみだと上機嫌だ。
火盗改の与力の助け・儀兵衛と戯作者・中田軍幹が助ける。
武芸帖を編纂するには己が武芸に通じていなければならないと思い鷹之介は、編纂所開きで周防守を始め、番方の旗本たちの前で柳生新陰流、円明流の演舞を披露した。
赤坂丹後坂
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