2018年7月14日土曜日

おれは一万石④ 麦の滴

おれは一万石④ 麦の滴 千野隆司
 正紀が婿に入った高岡藩も、正広が世子の下妻藩も本家は浜松藩井上家六万石だ。昨年、藩主・正定が亡くなり十才の正甫が後を継いだ。実権を握っているのは江戸家老・建部陣内だった。高岡藩は二代続いて尾張から養子が入り、浜松は嫌っていた。下妻藩では正広は正妻の嫡子だが、藩主・正棠は側室の子・次男・正建を世子にしたがっていた。建部と正棠は二人を廃嫡するために策を巡らす。
 凶作に喘いでいるこの時期に菩提寺の本堂の改築をすることになった。本家からの命令だった。正紀と正広が造営奉行を務めることになった。費用は千二百両。六百両を浜松が分家は二百両づつ、残りの二百両は他の檀家から集めることになった。二ヶ月で用意しなければならない。
 正紀は物品の値段を逐一調べている房太郎に出会った。房太郎から大麦の値段が上がることを知らされ、正広と一緒に三百二十石買う。値が上がり売るために舟で運んでいる時、覆面の侍に五十石分を転覆させられる。
 足りない分を銭貨の高騰に掛けることにした。十組問屋の行司と一緒に勘定奉行所に行き、久世広民に会い、民の暮らしのために銀相場を下げなければならないことを説く。銀相場を下げる触れが出る。銭を売り、二人は二百両を作った。
 正紀の妻・京は懐妊していたが流産した。
 正紀の親友・高積み見回り与力・山野辺蔵之助は材木問屋・高浜屋の番頭が倒れた材木の下敷きになって骨を折った事件を調べていた。材木に掛けられていたいた縄が切られていた。切った男の似顔絵を作り聞き込みをしていた。 

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