宗元治隼人密命帖〈一〉 無流心月剣 荒崎一海
文政五年 1822年 隼人34才
寛政元年 1789年 乗完の庶子・恒次郎16才と飛鳥原家の蓉姫15才の間に子が出来た。蓉姫には縁談があった。縁談相手・久居藤堂家五万三千石藤堂佐渡守高矗19才は無かったことには出来ず、恒次郎は蓉姫と我が子・隼人を守って欲しいと言い残し切腹した。蓉姫は西尾城下に引き取られ、飛鳥原家には宗房一代毎年十五両払うことになった。次の年、高矗は亡くなっている。蓉姫のこと恥辱と言って亡くなったためか、伊賀忍が狙っていた。甲賀の忍・鵜飼源蔵の身重だった妻が乗完に助けられ、乗完の屋敷で男の子を産んでいた。源蔵は恩返しで蓉姫をまもることになった。隼人が三才の時、蓉姫は出家し千寿尼、隼人は剣客・松田鉄五郎(無心斎)に預けられ、伊豆下田の山里で育てられた。師が亡くなり、江戸妙善寺へ行き、京へ行く。
三河の国西尾藩六万石藩主、京都所司代・松平和泉守乗寛46才が隼人の叔父だった。母に会い江戸へ行く。甲賀忍弥生が隼人に付いた。弥生は冬林庵(千寿尼のところ)で暮らすか江戸で芸者になるかと聞かれ尼寺を選んでいた。今、千寿尼に言われ隼人についている。
江戸へ行く途中、丹波福智山国家老・笹原伝右衛門の娘・茜を助け、江戸に入り、妙善寺に住む。福智山藩のお家騒動に巻き込まれる。八年前の若殿の毒殺にからみ、町医者・金森玄順の殺しに繋がり、犯人である両替屋、薬種問屋、口入れ屋等が町方役人に捕まった。首謀者が江戸家老であることも判る。定町廻り秋山平内、岡っ引き文蔵
茜は主君の誘いを断わり尼になった。
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