2019年2月15日金曜日

おれは一万石⑦ 定信の触 

おれは一万石⑦ 定信の触 千野隆司
 天明七年 1787年 十一月 
 井上正紀は将軍家斉に拝謁する。高岡藩主・正国は大坂定番勤務だった。
 江戸の米の値上がりを防ぐため定信は一万石につき百俵を江戸に出すようにという触れを出した。去年一揆が起りかけた高岡藩と府中藩は二倍になった。
 府中藩が手に入れた百俵を高岡河岸に預かる事になった。米を狙い、府中藩に失敗をさせようとする者がいた。高岡河岸の納屋を壊されるが、百姓と陣屋の者、こっそり江戸を抜け出した正紀等が阻止する。沼津藩と守山藩の関係までは証拠だてできず、米問屋相馬屋の犯行ということになった。
 高岡藩はあと二十八俵となった。府中藩の米を護った事で府中藩に納入しようとしていた浜口屋が引き受けてくれた。高岡河岸に新しい納屋を建てる事にもなった。
 府中藩二万石の正室は正紀の妻・京の叔母・品だった。府中藩には養子問題と一揆問題があった。

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