京都鷹ヶ峰御薬園日録 ふたり女房 澤田瞳子
元岡真葛23才 半家・棚倉家当主従四位下佐兵衛佐・棚倉静晟の娘・倫子と医師・元岡玄已の娘。静晟に許されず医院を開院したが、真葛が三才の時倫子が死亡、玄已は真葛を藤林信太夫に預け長崎に行った。連絡が無いまま時が過ぎた。真葛五才の年棚倉家に連絡、年に一度米一俵と味噌一樽送られてくるようになった。薬草園で育ち、薬草、生薬の実学を吸収し、本草学、本道、外科、産科、児科、鍼灸の教えを受けた。真葛十四才で養父母を失う。そのまま藤林家の懸人として公儀御薬園で過ごす。
藤岡匡 真葛十三才の時藤林信太夫の養子になる。藤林家六代を継いだ。匡21才 妻・初枝19才 息子・辰之助半年。一年後信太夫死亡52才、二月後信太夫の妻・民死亡
人待ちの冬 棚倉の平侍・平馬が訪ねてくる。薬種屋・成田屋に奉公する娘・お雪に弟が会いに行っても会わせてもらえない調べてほしい。ということだった。成田屋は養子を迎え代替わりしてから薬の質が落ちたと取り引きを止めた店だった。成田屋から出てきた先代の娘・お香津の後をつけ、元日草(福寿草)を取りに来ると言って帰るのを見た。真葛は二条衣棚の薬種屋・亀甲屋の惣領息子定次郎に成田屋の事を聞く。もうすぐ鷹ヶ峰というところで慌てて引き返しす。平馬を成田屋に呼び、定次郎を連れ薬を持ち、成田屋に行く。遅かった。成田屋は主を含め7人が亡くなり、2人は真葛の手当てで助かった。お雪とお香津が昼餉に毒を入れていた。お香津は夫の粗悪品を売る商売を許せなかった。お雪と香津は捕まった。
春愁悲仏 延島杳山28才と出会う。本草学者・小野蘭山の愛弟子で蘭山が江戸へ行く時に一緒にいっていた。真葛の患者がこの頃来ないので見に来たのだが、患者は辻説法で、三尺の観音様を削って頂く削り片を飲むと痛みが取れると愛飲していた。真葛は萎れて帰る。杳山が欠片を調べると、観音様は降香という檀木で出来ていた。生薬として珍重され国内では採取されないため非常に高価な香木だった。
観音様を彫った弥之助は加賀の海岸で拾った流木で作った。寺の下働きをしていた以蔵に騙され寺の本尊とそっくりの観音様を彫った。出来上がる頃、偽物を拵え本尊を売り飛ばそうとしていると訴えられた。弥之助は捕まり隠岐島へ15年流された。帰ってから五年弥之助は観音様を持っていなくなった以蔵を探していた。以蔵は説法僧になって観音様を削ってお金にしていた。以蔵は追いかけられ鴨川に逃げ溺れて亡くなった。
弥之助は観音様の中をくり貫き杳山に香木の破片を渡し、観音様を背折って加賀に帰った。杳山は香木を真葛に渡した。
為朝さま御宿 痘瘡時の痘瘡除けに坂田木綿を寝巻きにすると重くならないと言うようになった。
医師にもう駄目と言われた子供が坂田木綿の寝巻着を着て治ったという。真葛が行った先の三男が治った子だった。医師は信太夫だった。今回は次男が痘瘡だが亡くなった。
三男も亡くなっていた。助かったのは乳母の子供だった。母親が間違えたのを訂正出来ないまま八年が経った。代わったことを信太夫は知っていた。坂田木綿が痘瘡除けに使われ収入を得ていた。若き当主・実勲はこのまま自分の弟としていくという。
二人女房 真葛は武家の夫婦と知り合う。気性が激しい妻と養子に入って一年の夫・高浜広之進夫婦。江戸から京都に来たばかりだった。が広之進には京に三年間放ったらかしにした妻・香がいた。香は目が不自由になり寺の御布施屋にいた。広之進は香を見にくる。出会ってしまう。また旅に出るという広之進にもう待たないから好きな所に行けと言う香。広之進は留守居役に致仕するという。城代の許可をもらうために国許に行った。妻も一緒に。匡はたぶん妻女が広之進の致仕を諌めるだろうという。
初雪の坂 近所の寺の床下で生活している孤児・小吉が僧・範円を殺して逃げた。範円が毒芹で商家の隠居を殺した罪を小吉に擦りつけるため、捕まえて食事を与えていなかった。小吉は倉から逃げて範円を殺し捕まった。小吉の家は叡山に紙を納める大店・永倉屋だった。七年前に範円は永倉屋から三百両を借り返せないから火をつけた。小吉は範円の借用書を両親から受け取り逃げていた。家族な亡くなり小吉は範円を探していた。大事に隠していた借用書を持って匡は奉行所に行った。
粥杖打ち 真葛は蘭山から房州、総州での採集に一緒に行かないかと誘われた。匡は反対する。断わりの手紙を書く。
書肆・佐野屋の娘・お竹は医者になりたかった。誰も弟子にしてくれない。ために医者の弟子に近づいた。医者の弟子は野心家で典侍に取り入ろうとお竹に近づき子が出来た。弟子は姿をくらました。お竹は伏見宮様の子と言って大騒ぎになった。子供を生んだ後、山本亡羊がお竹を弟子にすることにした。
真葛はなんの不自由なく学問を授けられた自分を省み、蘭山の旅に同行することにした。
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