2017年10月16日月曜日

入り婿侍商い帖 大目付御用〈一〉

入り婿侍商い帖 大目付御用〈一〉 千野隆司
 文化十年 1813年 六月
 大黒屋は年間四千俵の商い高を持つ米問屋になった。
 角次郎37才 六年前、五月女家の家督を善太郎に譲り隠居の形をとり大黒屋に戻った。
 善太郎16才 家禄三百五十石旗本五月女家の当主。妹・波津14才。羽前屋の娘・稲16才
 善兵衛 女房・トクを四年前に亡くす。
 角次郎の女房・万季は稲が善太郎に好意をもつことを危ぶんでいた。稲も波津も跡取り娘で婿をとらなければいけないから。
 札差・多留屋の株を八百両で羽前屋の恒右衛門と後二軒の四軒で買う手はずで二百両の手付けを払う。老中筆頭・松平信明の三河吉田藩の藩米を扱っている千種屋が後ろ立ての房川屋が違約金二百両を払い、多留屋の株を買った。大黒屋たちは四百両を返された。
 札差株を売りたいという店が出てきた。大黒屋は乗り気だ。


 将軍・家斉から回ってきた目安箱の書状、土井利厚が家斉から大目付・中川忠英指名され内々に吟味することになった。古河藩七万石土井家の下野寒川郡上井岡村の名主の息子・作次郎の箱訴だった。六公四民の徴税、名主・作左衛門は減免を求めていた。名主が水門に落ちて亡くなった。不自然だと訴えた息子は村外追放になった。調べて欲しいという内容だった。藩主・土井利厚には何も知らされていない。上井岡村は中老・土井利惟・先々代藩主の異腹の弟の禄千石の知行地。利惟七十三歳。家臣だが、大叔父、領地の仕置きの功労者。土井利厚は摂津尼崎藩主・松平忠名の四男で先代藩主・利見の養嗣子なので、利惟に遠慮があった。内々で調べるように頼まれた中川は角次郎に調べを頼む。
 古河藩側用人・設楽五郎太から藩主・利厚に子がないため、継嗣が決まっていない。利惟の孫・利昌21才の名が上がっていることを話す。国家老・荻野外記が昵懇の間柄。城代家老・友澤采女だけでは反対出来ない。国事情を語る。利惟の米は房川屋が商っていた。
 南町定廻り同心・嶋津惣右介のいう身元不明の死体が作次郎だと分かった。刀で斬られていた。
 千種屋が古河藩江戸家老・神崎鋳左衛門と繋がろうとしていることが分かった。千種屋は三河吉田藩の藩政に口を出し、金を貸し、水路を引き、米蔵を藩の政としてやらせ、政商となっていた。
 角次郎は善太郎と上井岡村を調べに行く。商人姿で米の仕入れのために来たように振る舞う。
 名主が落ちる前、百姓代の喜兵衛と利惟の家臣・河原田が一緒だったこと。年貢が高いこと。作次郎が殺された時、河原田が旅姿だったことを調べあげた。年貢米が房川屋・千種屋にはこばれたことも探った。二人は河原田に狙われた。連判状と昇進を約束するような書付を狙うことにした。夜、旅籠を狙われる。
 善太郎は五月女家の知行地に行く。江戸に帰る。
 河原田が神崎に渡す前に連判状と書付を奪った。連判状は不正ではない。が書状は推薦を依頼し、利益を保証するものだった。
 上井岡村は藩が召し上げ、年貢米は大黒屋の仕入れになった。敵も出来た。
 
 

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