2017年10月20日金曜日

風の王国〈5〉 渤海滅亡

風の王国〈5〉 渤海滅亡 平谷美樹
 堙譔王20年 925年 12月
明秀がいた遼州城で東日流人千人を人質にされ開城を要求される。兵は明秀を人質にしたと言われた。行ったのは、契丹と内通する渤海の裴與、高元譲の東日流から遼州城を渤海のものにすると言う言葉に促された高寿昌、賀文英、李子澄によるものだった。東日流人は明秀の邪魔になるならと油を掛けられていた身体を火に寄せる。千人は焼け死ぬ。
何も聞かされていない渤海人は、開城してやって来る契丹軍に備えるためといいながら扶余府まで行った。後に耶津尭骨(突欲の弟)が入った。明秀、趙遂良、奥津姫、尸寐が護送用馬車で上京臨黄府・契丹の首都へ送られる。
 926年
 勇魚は安市城を清瀬麻呂から取り返した。
 契丹軍は渤海国上京龍泉府の王城・忽汗城を攻めた。忽汗城には高元譲がいる。堙譔は言いなりで命乞いし契丹の軍門に降った。
 忽汗城降伏の知らせが届いた夕方、明秀たち四人は牢を抜け出した。夜、明秀たちを助けにきた蓮姫たちと晏羣が出会う。逃げ出していた四人と会い草原を逃げた。
 渤海を東丹国という名にし、皇太子である突欲が治める。月理朶が言った。
 元号は天顕、忽汗城を天福城。突欲は天福城は入った。
 二月 東丹国、国王・突欲 左大臣・耶津迭刺 右大臣・高元譲 左次相・大素賢 右次相・耶津羽之になった。皇帝阿保機は天皇、月理朶は地皇帝、突欲は人皇帝と呼ばれる。
 七月 尭骨は父・阿保機を斬り殺した。須哩奴夷靺鞨の奇襲と声を上げる。突欲は夢を見た。突欲は劉于と仲輔伯、背に遊部の円目と比自姫を結わえ付け扶余城へ行く。

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