新包丁人侍事件帖3 飛んで火に入る料理番 小早川涼
火の粉 文政七年 1824年 如月 一日 二日 五日 八日 十一日と火事が起こった。八日の火事では町火消し同士が大乱闘を繰り広げた。無頼町人も加わり六千人。多数の死者が出た。鮎川惣介は町火消し〈う組〉の組頭勘太郎に頼まれ、錺職の五十松が死んだことを調べることになった。
二日と五日の付け火は八蔵だった。八蔵は八日も自分がやったことにしておくという。八日は髪結いの修業をしているヨシ10才が火事になれば実家に帰れると考え付け火をしたとも考えられた。八蔵もヨシが付け火したと吹き込まれ自分がやった事にしたような状況で自訴した八蔵は牢死してしまった。
似非者 惣介は家斉に個人的に食べ物を作った時、贋金でなやんでいることを知った。五十松が贋金作りの一味で仕事が終わり殺されたと思った。雪之丞が使ったのが贋金だったため惣介は贋金作りの探索に組み込まれる。寺社奉行・水野泉守の家臣・鮎川惣助の娘鈴菜の恋人・大鷹源吾も贋金作りの探索をし、惣介に近づく。君命だと言い、くれない屋の番頭と錺職人二人を殺す。八日の火事は贋金作りの証拠を消すために仕事場を焼いたための火事であり、大騒ぎになるように火消しの喧嘩も煽られたものだった。
何故、町奉行所ではなく寺社奉行が動き、雪之丞までもがどなたかの命令で動いたか。贋金の二朱銀の方が銀の含有率が多かったから。
小一郎 春の隣 小一郎15才の友達・又三郎16才が旗本の息子に喧嘩をふっかけられた。小一郎もやられてしまう。又三郎の父親・御徒衆七十俵五人扶持・柊克太郎が又三郎が怪我も治りきっていないのに家に帰らないと小一郎を訪ねてくる。小一郎は帰らない野では無く、帰られない状態にあるのだと又三郎を探す。火事場の穴蔵にはまっていた。又三郎は小一郎が来ることを信じて待っていた。又三郎一人ではなかった。喧嘩相手の旗本の息子・三辺鉄之助が足を挫いていた。鉄之助を助けようとして又三郎ははまった。三辺家に知らせ、父親と家来が梯を使って助け出した。鉄之助は父親にぶたれる。隼人は又三郎と小一郎を見て良い友垣だ。二人で支え合っていれば滅多なことにはなるまいという。
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