2017年6月3日土曜日

御徒の女

御徒の女 中島要
 貧乏くじ 十七歳 文政十三年(1830)長沼栄津 二年前に父死亡。兄・史郎24。御徒・七十俵五人扶持。治助・父に命を助けられただ働き同然で住み込み奉公をしている。娘が身請けされ芝で小料理屋の女将をしている。
隣の水嶋家の次男・又二郎が御徒目付浅田家に養子に行く。
史郎の結婚が決まった。三千石の旗本に嫁ぐ予定が役者との関係を噂され破談になった百五十俵の御家人向井家の紀世。
養子に行って三ヶ月の又二郎から伊勢参りに行こうと誘われる。
 船出 二十一歳 天保五年(1834) 二年前水嶋家の長男・穣太郎は貸本屋の娘・蕗を嫁にしていた。栄津は御徒・國木田義三28に嫁ぐ。縁談が持ち上がった時、又二郎に二年待ってくれと言われる。
 悲雨 二十三歳 天保七年(1836) 娘・春が生まれる。味付けに文句を言いながら嫁に食べさせる義母・千代。千代が栄津を見込んで嫁にしたことを知る。
 紅の色 二十八歳 天保十二年(1841)長沼家は鳥居耀蔵の屋敷に出入りしいい暮らしをしている。治助の娘・りんが治助の死を知らせに来た。翌年の春、栄津が懐妊した。
 ふところ 三十二歳 弘化二年(1845)昨年の暮れ千代58が亡くなる。春10才、息子・千之助4才。又二郎が実家水嶋家の嫁、姑喧嘩の仲裁を頼みに来る。断る。水嶋家の姑・和江が来る。頭を下げるように言う。昨年、鳥居が罷免された長沼家は潰れはしなかった。
 神無月 四十二歳 安政二年(1855)春は御徒田代清兵衛と結婚。長沼家は札差の息子を養子にして長沼家の家督を譲り渡した。千之助14は剣術を習い始めた。道場の師範代は、水嶋家の三男・利三郎だった。利三郎は國木田の家に何度か来る。義三と話しが弾む。十月二日地震が起こり、一度庭に出て助かった國木田家の三人だったが栄津が刀を取りに家に入り助けに入った義三が亡くなる。利三郎が助けに来た。
 江戸の土 五十五歳 慶応四年(1868)徳川は駿府に移る事になった。安政五年コロリがはやり寝込んだ利三郎の看病をした。千之助は利三郎を支えにした。金杉村で百姓のような生活をしている利三郎を頼る。田代清兵衛は妻子と母と駿府へ行った。

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