柚子の花咲く 葉室麟
宝永六年 1709年 一月綱吉が亡くなり家宣の代になった。
日坂藩青葉堂村塾の師・梶与五郎が隣の藩鵜丿島藩で斬られて見付かった。調べに行った元教え子・穴見孫六も斬られてなくなった。同じ元教え子・筒井恭平は与五郎と孫六の死の真相と同時に与五郎が持っていたであろう干拓地の境界に付いての覚え書きの書類を探すために鵜丿島藩へ行く。
与五郎は鵜丿島藩家老の庶子三男だった。結婚したい相手とは許されず、許嫁と別れ、親子関係も上手く行かず、師匠をしながら人生をやり直していた永井清助だった。
清助の友達、清助の結婚しようとしていた相手を妾にしていた男、清助の結婚相手と結婚していた鵜丿島藩郡代・土屋新左衛門が与五郎を殺し、孫六を殺し、与五郎の兄・勝次郎を殺していた。
二度しか会えなかった与五郎と母、その時柚子の木が在った。桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く。
恭平は書きつけを探し出し、干拓地の境界争いに結着を付けた恩賞に群方勤めの傍ら、青葉堂の教授を務めることになった。また家老が仲人とし恭平は百姓の出のおようを藩士の養女とし結婚した。
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