2018年6月10日日曜日

つまをめとらば

つまをめとらば 青山文平
ひともうらやむ 長倉庄平は御馬廻り組の番士。剣術も目録だが庄平の作る釣針や竿は引っ張りだこだ。長倉克巳は長倉本家の惣領で父親は家老だ。丹精な顔立ちで剣術の目録だ。庄平を気脈の通じた輩と思っている。庄平は同じ家格の堀越家の康江と祝言をあげる。克巳は西洋外科医で藩医となった浅沼一斎の美しい娘・世津と祝言を挙げることになった。
 克巳が相談に来る。世津が離縁して欲しいと言う。庄平は克巳に離縁状を書かせ、世津にわたすように言う。克巳は一人で帰った。世津が慶泉寺に入寺し、世津を追って克巳が押し入り立てこもっていた。庄平が行った時には世津は死んでいた。克巳は切腹し庄平が介錯した。庄平は三月後、致仕し、江戸へ出た。庄平が釣針、竿を作り康江が売る。康江は美しくなった。世津に見えることがある。
 つゆかせぎ 妻が亡くなり戯作を書いていたことを知った。十七年前、二千四百石の旗本大久保能登守の屋敷の手代をしていた私27才のもとに朋21才は嫁いできた。私は目立たないよう生活していた。私には俳諧があった。朋は私が手代を辞め俳諧師になると思っていた。朋は43才で戯作を始めた。そして朋は死んだ。
 大久保の知行地へ行く途中の旅籠でつゆかせぎと知り合った。男親は誰でもいい、子どもが欲しいという。私は狭い世界から詩材を採っていたことに気がついた。江戸に帰ったら、朋が書いた「七場所異聞」を読んでみようと思った。
 乳付 民恵の縁談が決まった。民恵の父はお目見以下の徒士目付、神尾家は家禄四百石の旗本で、両番家筋だった。民恵は漢詩を習い、神尾信明と縁が出来た。引け目を感じながら嫁に行く。
 二年半が経ち、天明八年 信明は本丸書院番三番組に初出仕。六日前に民恵が男子・新次郎を産んだ。民恵は発熱し危なかった。遠縁の瀬紀が乳をやっている。瀬紀と信明が話しているのを見る。旗本の奥様らしい瀬紀、自分だけが余計者のように思える。
 瀬紀の始めての子どもは小夜が乳付けした。瀬紀は小夜に悋気し、夫をとられるような気がした。三年で二人の子を残し婚家を出た。他家で三人目の子どもを産み乳が出た。小夜が子どもを産み亡くなった。小夜の子に乳付けした。と瀬紀は話した。乳付けの差配をするのは姑の隆子だった。隆子は乳が出なかった。一族の乳付の差配は本家神尾家の奥様の御役目、民恵が役を継ことになる。瀬紀は四人目の子は声を上げなかった。
 父が訪れ、信明の仕事の話と信明が話した民恵の漢詩についての話しをして行く。その夜、新次郎が民恵の乳を飲む。信明は民恵を二十六夜待ちに誘った。
 ひと夏 高林家次男・啓吾が新規召出になった。禄は百石だが当面は三十石。杉坂村支配所勤め。幕府ご領地六万石の真ん中に離島のようにある我が藩の飛び領が杉坂村だった。二年と持たないお役を五年続けた今の者は博打場を開設していた。啓吾は手習い塾の開設が決まっていた。
 千本素振り、手習い塾、集落で無視され畑を巡る。支配所で夕飯、千本素振りの毎日が続く。素振りは二千本になった。
 御領の陣屋の手付き・岡崎十蔵が手代を斬り逐電。杉坂村の干鰯屋に押し入り立てこもった。啓吾は捕まえた。子供たちはあの日のことを忘れない。二ヶ月経つと大人の賞賛の笑みは消えた。干鰯屋の喜介は婿に来いと言う。
逢対 竹内泰郎28才は旗本の末席だが親子二代の無役。屋敷で算学塾を開いている。近くの煮売り屋の娘・里24才と理ない仲になった。里は嫁よりも妾希望だった。
 泰郎と同じ小十人筋の幼馴染みの北島義人は十二年逢対を続けている。無役の者が出仕を求めて日参する。泰郎は義人の逢対に同道する。評判の若年寄長坂備後守秀俊の屋敷に行く。泰郎は屋敷に呼ばれ、泰郎の備前長船祐定と、真長と交換して欲しいと言われる。番入りは約束される。泰郎は義人の刀ということにした。泰郎は算学一本にした。
 里に妾暮らしより本妻暮らしがいいことを分からせようと思う。
 つまをめとらば 幼馴染みの山脇貞次郎56才が、深堀省吾56才の家作に住むようになった。世帯を持とうと思うと言っていたが一人で越してきた。一緒に住む家があれば二人で住む気になるかもしれんと思ったが、逆だった。爺二人の暮らしが居心地が良く女と暮らそうという気になれん。貞次郎はここを出て女と暮らす決心をした。爺二人で暮らす未練を断切る。省吾は戯作を書き続けることが出来ると思った。

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