連鶴 梶よう子
慶応三年 1867年11月15日 坂本龍馬死す
桑名藩藩主松平定阿敬は会津藩藩主松平容保の弟のため会津藩と共に行動する。
桑名藩藩士・早見丈太郎26才 弟・早見栄之助24才 丈太郎は海外に目を向け、英吉利語を習い、英吉利語で軍艦の本を書くぐらい勉強したが、桑名藩であり跡継ぎであることで自分は藩と共にと思っていた。栄之助は商家の養子になることになり、横浜で外国人と取り引きがある関係で薩摩藩と手を組んでいた。
丈太郎は鳥羽・伏見の戦いで目が不自由になる。大阪で敗残兵と薩摩兵として兄弟が顔を合わせる。栄之助は薩摩を離れ、丈太郎と共に桑名に帰る。桑名は恭順の意を示した。
桑名には連鶴という折り紙がある。丈太郎は二十歳前に道場で坂本龍馬に「四羽の鶴が連なる「風車」を折って渡したことがある。坂本龍馬は死の時それを持っていた。斬った人も連鶴を知っていた。兄弟が別れる時、嘴と尾が反対向きの連鶴を丈太郎が栄之助に渡す。家老は理想だと言いながら、百羽の連鶴をお婆様に折って見せて頂いたという。これからを二人で見ようという時、丈太郎は「風車」を折る。栄之助は、棄てたように見せていた連鶴を、兄に渡す。
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