2017年11月10日金曜日

おれは一万石

おれは一万石 千野隆司
 天明六年 1786年 将軍家治と跡継ぎ家斉を前にした上覧試合が行われる。
最後に残ったのは、美濃今尾藩三万石竹腰勝起の次男・竹腰正紀17と常陸下妻藩一万石井上正棠の長男・井上正広15だった。井上正広が勝った。
 竹腰正紀に縁談があった。下総高岡藩一万石井上家に娘・京19。藩主・正国は正紀の父・勝起の弟だった。正紀の祖父は尾張徳川家八代徳川宗勝、勝起は八男、正国は十男だった。尾張家当主は叔父・宗睦が継いでいる。正紀の兄・睦群は尾張藩付家老をしている。
 正紀は正国と娘・京に会いに高岡藩上屋敷に行く。門前払いされている名主の息子・申彦に会う。利根川の堰が切れそうなので杭が二千本欲しいという話だった。正国に話しても江戸家老・児島に話しても上手くいかない。まだ婿入りが決まったわけでもないが正紀は手を貸すことになった。
 正紀の婿入りが決まった。高岡藩と下妻藩の本家・浜松藩の集まりに行く。浜松藩の当主・正甫12と下妻藩当主・正棠34才と顔合わせする。下妻藩の正広・正建兄弟・江戸家老・園田次五郎兵衛とも会った。
 正紀は中老・佐名木源三郎から下妻藩の園田が次男・正建を藩主にするために嫡男・正広を高岡藩に婿入りさせることを考えているということを教えられる。
 杭八百本を高岡藩は用意した。正紀は尾張藩・宗睦から千二百本を餞別として送られ下野国阿久津河岸から鬼怒川利用で送ることになった。正紀付き中小姓・植村21と阿久津まで行く。京にも高岡へ行くことを伝える。山王権現の守り袋を貰う。
 阿久津で受け取るはずの杭、六百本を偽の荷送り書で盗まれたが取り返し、激しい流れの中で船を襲い正紀たちの命を狙い、杭を流そうとする三人の侍を撃退した。雨の中で川ぎりぎりの所に杭を打ち土嚢を運ぶ、正紀と植村も作業をする。侍に命を狙われる。撃退する。雨が止んだが寝ずに川の番をする。
 江戸への帰り道、行徳の塩問屋桜井屋長兵衛と知り合い、命を狙った浪人と侍に傷を負わされた青山を桜井屋に預け、植村を佐名木への連絡に行かせ、正紀は捕まえた下妻藩の侍を連れて後から江戸に向かうことにした。
 佐名木は正広から下妻藩の様子を聞き、船着き場で待つ。船着き場目前に船で襲われた。正広と同門の高積見廻り与力・山野辺蔵之介が助けに来てくれ、正広も佐名木も加わった。正広が捕まえた侍を下妻藩の瀬川と断じた。
 下妻藩の園田は切腹、園田家は減封になった。正広は下妻藩の跡継ぎとして公儀に届けられた。正紀の婿入りは遡って八月九日になっていた。竹腰正紀は井上正紀になった。植村も高岡藩に移った。
 正紀と正広は稽古試合をした。

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