あきない世傳金と銀〈四〉 貫流篇 高田郁
五鈴屋五代目徳兵衛・惣次31才は、羽村に前貸ししていた銀四貫の預かり手形が両替商の分散で紙くずとなり銀四貫の借財を負うことになった羽村の人々の怒りをかったため、羽村に持って行くつもりで用意した銀三貫と共に行へ不明になった。帰郷屋と弟・智蔵に手紙を託し隠居した。
智蔵は女房ごと後を継ぐことになった。幸21才は智蔵と幸は羽村へ行き銀二貫を渡し借金は五鈴屋が負う事にした。羽村で生産される羽二重はすべて五鈴屋が買い取ることになった。智蔵は六代目徳兵衛になり幸は智蔵と祝言を挙げた。智蔵は人形遣いの人形に徹するつもりだ。幸は帳簿類もすべて見ることになった。すべてを整えてお家はん・富久66才は亡くなった。
延享三年 1746年
五鈴屋が羽二重の横流し商品を売っていると言われる。幸は羽村で貰った残糸をみせ乗り切った。
元番頭治兵衛の女房・染の叔父・茂作が五鈴屋から羽二重を仕入れ東北で売ってくれることになった。
元五鈴屋の奉公人・留七と伝七に反物を貸し出し地方で売るという形で商売を始めた。呉服を背負って諸国を廻る。河内木綿の青みがかった緑色の風呂敷を作った。大風呂敷には担いだ時に鈴の柄と五鈴屋の名前が出るように染め、二尺巾の風呂敷には全体に鈴の模様が散らしてある。元御寮さん・菊栄が鉄漿粉の産地・備前国の取引相手への紹介文を書いてくれた。地蔵盆に大坂を出、神無月の二十日に帰った二人は注文を取ってき、また明日発つという。
幸は智蔵に連れていってもらった人形浄瑠璃の人形使い・亀三が作っている人形の着物にちょうど良い桑の実色の縮緬を一反渡す。幸は人形と同じ着物を縫い、筑後座の天神記見物に十日通う。五鈴屋の蔵には桑の実色の縮緬がぎっしり詰まっていた。仕掛けが功を奏し桑の実色の反物は売れた。桑の実色は着る者の年齢によって印象が変わる。
桔梗屋は店ごと真澄屋に売るらしい。桔梗屋が売る条件を呑んで買い取るはずが、真澄屋が買い取ってから桔梗屋の条件を全く呑まないことが判った。桔梗屋は売ることを渋るが手付けを貰い、使っていた。真澄屋は銀二十貫返してくれと言う。幸は桔梗屋の買い上げに名乗りをあげる。
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